イメージ 1
一の鳥居から車で進入するとUターンできないので注意してください。
イメージ 2
イメージ 3
茶臼山の中腹、薬師館に鎮座。
イメージ 4
県道201号蔵館大鰐線、あじゃら高原トンネル上に見える羽黒神社。
イメージ 5
境内からトンネルを見下ろすの図。
イメージ 6
このスキージャンプをしている鰐…反対側から見るとピースしています。
イメージ 7
急な階段上って行きます。
イメージ 8
二の鳥居。
イメージ 9
狛犬一対。大正9年、北樺太亜港造営参加記念。
イメージ 10
イメージ 11
箕輪田銀一郎頌徳碑…『貴族院議員従二位勲一等男爵野村素介題額 箕輪田銀一郎先生は舊黒石藩士にして文久元年五月一日江戸に生れき資性沈毅誠實人品極めて高し幼より學を好み明治十三年二月本縣師範學校本科を卒業するや各地小學校長に歴任し到る所令名あり仝三十一年十一月廿五日わが大鰐尋常高等小學校長に赴任し爾来十有八年餘夙夜恪勤児童教養に盡瘁し育成せし者一千餘名轉校の後猶本地方教化の核心となり瞿鑠として教育に一身を獻げらる惟ふに擧世滔々として軽佻に流れ競うて名利に趨る秋に方り獨り毅然として天職に安んじ優游自適育英に終始す天爵の尊先生に於て是を見る宜なる哉闍山の下平河の水際(旧字)其の水際徳風に薰被せられざるなきや生等感恩の念仰慕の情に勝へず相謀りて碑に勒し以て後雋をして奮起せしめんとすと云爾 大正十一年八月三十一日 門下生一同識立』
イメージ 12
境内からの眺望は町を見下ろす感じ。
イメージ 13
二の鳥居と三の鳥居の間に末社等が色々あります。
イメージ 14
イメージ 15
末社神明宮。御祭神は天照大神。御神体の仙像は昭和10年の大洪水の際に流着と伝えます。
イメージ 16
神明宮横には庚申塔(1基は昭和6年。1基は無銘)と天照大神塔(大正5年。土台に成田直作の鶴亀彫刻)。
イメージ 17
末社稲荷神社。
イメージ 18
江戸時代もしくはそれ以前の創建であり、明治5年に羽黒神社に合祀されて廃社になるも御神体の石造稲荷尊像を専称院から返されて昭和9年に再建。
イメージ 19
イメージ 20
御祭神は倉稲魂命。
イメージ 21
末社稲荷神社の末社稲荷宮。
イメージ 22
青面金剛像(明治36年)。
イメージ 23
あまり見ない型です。
イメージ 24
更にもう一つ石像。山の神かな。
イメージ 25
社殿内。
イメージ 26
絵馬などが奉納されていました。
イメージ 27
立派な神楽殿。
イメージ 28
イメージ 29
女坂。
イメージ 30
男坂・三の鳥居。
イメージ 31
イメージ 32
この石造両部鳥居がとてもユニーク。柱には昇降竜。昭和5年7月交友会寄進。
イメージ 33
イメージ 34
額束の両サイドに一対の狛犬がいます。
イメージ 35
裏には交友會とありました。
イメージ 36
手水舎。
イメージ 37
一番上が羽黒神社境内になっています。
イメージ 38
入口石灯籠一対の紀年銘は慶応2年(1866)。
イメージ 39
羽黒神社改築記念碑寄付者氏名が彫られた碑(昭和5年7月2日)。
イメージ 40
明治天皇御製碑(昭和42年9月10日洽仁会)。
イメージ 41
『人もわれも道を守りてかはらずばこの敷島の国は動かじ』。
イメージ 42
羽黒神社社殿。
イメージ 43
御祭神は倉稲魂命ほか七神(誉田別命・大名持命・少彦名命・手力雄命・大国主命・八種雷命・菅原道真公)。旧村社。現在の薬師館に当神社が遷座した際に湯魂石薬師堂の薬師様を合祀したと伝えますが御祭神に久須志神は無く、医薬温泉の神ともされる大名持命と少彦名命に変わったとも考えられます。
イメージ 44
慶安4年(1651)、3代藩主津軽信義の勧請。当初は宝形造りで芦茅葺の薬師堂でした。薬師堂ができたのは中世の頃とも考えられていますが、薬師堂、薬師如来、薬師館の史料はありません。但し茶臼館は蝦夷館のチャシが由来であり、城館遺跡となっています。
イメージ 45
観音菩薩を本地仏とする羽黒大権現との関わりがあり、明治初年までは出羽・羽黒修験真言宗羽黒大権現として崇拝されてきたと考えられます。貞享4年検地水帳には三朋院抱えの羽黒権現堂地があります。
イメージ 46
イメージ 47
狛犬一対。
イメージ 48
イメージ 49
イメージ 50
イメージ 51
なんと本殿が崩壊していました。かつての本殿は6尺×4尺、銅葺、2間仮橋の本殿で昭和5年に再建、平成5年に後方へ移転。
イメージ 52
イメージ 3
イメージ 2