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周囲が水に囲まれて、小島の状態をなしていて、昔の面影をとどめています。
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貞享4年検地水帳・元禄15年堂社縁起修験道由緒・享和3年寺社領分限帳に、いずれも弁才天堂(堂2尺5寸2尺4面。宮地6間5間。木数60本。内杉2本5寸廻。雑木58本3尺廻-1尺廻迄。)がみえます。杉は落雷のために焼失し、その根跡から五輪塔が発掘され、古墳ではないかと推測されし場所。
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貞和2年(1346)9月4日、降魔調伏除病延命を祈願し勧請。今はなき老杉には毎夜御燈明が降ることで有名でした。これは浅瀬石の山手の愛宕様からくるものらしいです(神通ひ)。本家領の愛宕様が別家領の弁天様にノックし、夜明頃には必ずその燈明がもと来た空間の路を辿り、途中高木村の郊外の一本杉(矢張り愛宕様の杉)にお休みになりつつ、浅瀬石山に戻るといいます。郷土史には「毎夜東方より燈明照輝の上來る事俗人も皆能く知る所也。又阿伽井泉ありて毎月上十五日は濁り下十五日淸みて實に不思議の泉水にてありしを今は存せず」とあります。明治の神仏分離によって廃堂となり、跡地には宗像三女神を祀る胸肩神社(旧村社)が建てられており、また、円空十一面観音像がおさめられています。
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こちらは社殿。
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社殿内。御神体は婦人の体形をした自然の根株だといいます。
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十一面観音像の建物。建物の中が見えるようになっているのですが十一面観音像はありませんでした。ご近所の方に聞いたところ、関東の方で開催されている円空木喰展とやらに出品されているようで不在でした…なんて日だっ!!
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十一面観音像(県重宝青宝61号)…『十一面観音像は、寛文7-9年(1667-1669)に僧侶円空が彫った立像で、ヒバ材が使用され、l像高が150cmで台座を合わせた総高は182cm、像厚が6cmとなっている。県内には、弘前藩に13体(坐像10体・立像3体)、南部藩に4体(坐像2体・立像2体)が現存しており、内訳は観音菩薩坐像が12体、十一面観音菩薩立像が5体の合計17体となっている。円空仏は、圧倒的に坐像が多いことで知られ、立像は少ない。円空は、寛永9年(1632)美濃の国(岐阜県)で生まれ、30歳代の寛文3年(1663)から仏像神像を鉈彫りの技法で制作を始め、元禄9年(1695)までの生涯に10万体を越える造像を成し遂げた僧侶である。』
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庚申塔(文化8年)と「南無妙法蓮華経大黒尊天守護攸・慈眼視衆生 福聚海無量」を刻む碑。
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拝殿横の碑。読み取れませんでしたが庚申塔の類。
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鳥居建立記念碑(昭和5年6月11日)。
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こちらの碑には『誠忠院殿前雄鑑義心大居士(天正13年5月19日)、心貞院殿義学妙堅大姉(慶長6年3月10日)』とあります。
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これは田舎館城主千徳氏最後の当主である千徳政武と妻の小山内満安娘於市の戒名です。この夫妻は田舎館の絶大なる誇り。昭和5年の夏に弁天堂から戒名を発見し、村有志等がそれを記念して境内に建立したそうです。
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