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御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、速玉之男神、事解男命。
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相殿に少彦名命、大名持命(大国主命)。
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貞享4年検地水帳によりますと、浄土宗浄満寺屋敷地9反余、観音堂地、庚申堂地、権現堂地、明神社地、稲荷社地、明神社地が見えます。
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永禄2年(1559)浪岡御所の北畠具永再建、元和9年(1623)弘前藩2大藩主信枚再建、寛文6年(1666)4代藩主信政再建と伝える熊野十二権現宮が大浜の伝馬通北側にあります。寛文6年(1666)再建時の棟札によりますと、大同2年(807)坂上田村麻呂創建。享保元年(1716)5代藩主信寿修理。
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宮司の澤田家に伝わる由緒書では初代は大永の頃(1521-1527)に西国辺りより当国へ下り、2代目から神職を勤め、弘治の頃(1555-1557)に北畠家の祈願所となりました。
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国誌によりますと「旧時は大社にして、国守は許より土人等尊敬し」とあり代々藩主が参詣したと伝えます。明治3年の神仏分離により熊野神社に改称。明治8年には末社の八幡宮(旧明神社)、宗方宮(旧弁天堂)、稲荷社を合祀。
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「油川の見所」というHPによりますと、境内に文政4年(1821)伊藤彌七奉納の御影石鳥居があり、拝殿には西田父子奉納の船絵馬が2枚懸かり、寛文5年(1665)舘田源兵衛奉納の狛犬一対が置かれているとあります。狛犬はわからず。社殿内は見ることができませんでした。
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弁天宮には宗像三神を祀ります。
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立派な池。
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御神木のケヤキです。
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相当な大きさです。
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こちらの木もある意味凄い。
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石碑群。大田ノ神が二基。紀年銘はいずれも文政。
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青面金剛と猿田彦大神。猿田彦大神の隣の碑は不明。形は力石っぽい。
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こちらには…
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「平和の礎」「千秋□魂存」他、陸軍に係る石碑が色々。
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頌徳碑。
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恩師澤田俊作先生碑。
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神輿庫。
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ここにも何かが建てられていたんでしょうね。
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参集殿。
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熊野宮入口前の三叉路に羽州街道終点地伝馬町の標柱がありました。
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『江戸時代初期の寛文4年(1664)伝馬派立ちとして開かれ、安永7年(1778)には59軒の家があった。ここは、羽州街道の終着点であり、油川港に諸国廻船の出入りが多かった安土桃山時代から、町内で最も賑やかな町であった。』
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伝馬町の先、西田酒造前で奥州街道と交叉します。
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