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御祭神は少彦名命。
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永正17年(1520)、水木(溝城)城主の溝城刑部の家臣である水木村の今市右衛門が薬師堂として勧請したという記録があります。
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今市衛門と今次右衛門の2人が、主君の命により用水堰を開削した際、土の中から薬師如来の木像を発見し、それを祀ったそうです。
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更に延宝3年(1675)、菊理姫命が合祀されましたが、明治4年の神仏分離により薬師如来が廃されて、菊理姫命だけを祀るようになりました。
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明治20年頃に火災で社殿焼失。
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明治33年より現在の少彦名命を祀るようになります。
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薬師堂。
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幕末頃の庚申塔3基。
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