
一の鳥居。一の鳥居の横には立派な御神馬一体。

立派な二の鳥居。その横には八幡宮参道と書かれた木が建っています。


三の鳥居。

三の鳥居に平行している鳥居は…

庚申堂・二十三夜塔の石碑。


木々に囲まれた長めの参道。

四の鳥居。

立派な社殿です。


かつての原子村で、貞享4年検地水帳によりますと、権現堂地・境内林、天神社地、観音堂地、庚申堂地などが見えます。


地内山元の当八幡宮は原子平内兵衛の館神を安置したもので、後に館跡が八幡宮になりました。創立年月日は不詳ですが、天正年中(1573-1593)の勧請と伝えます。原子城は古代には蝦夷館があった地で、その館跡を利用しており、元亀年間(1570-1573)から天正年間(1573-1593)の城主は浪岡四天王の原子平内兵衛。天正6年(1578)に大浦為信の浪岡城攻撃の際に落城し、その後廃城。



御祭神は譽田別尊、闇おかみ神。

明治6年4月には一時磐余神社に合祀し、明治8年2月復社。

本殿。

社殿周囲の板蟇股には様々な馬がいました。





中には天馬も。そういえば同じ国道101号沿いに食事処天馬がありますね。


社殿横の祠には三十三宝と書かれた玉を手にしている観音像。

その横には女神型の水虎。かつては洪水に見舞われた地域。

そして地面には…壊れた福助!(( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

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