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村社保食神社。かつての芦部村は岩木川中流右岸の金木台地末端に位置し、藤枝溜池の西側堤防下の低湿地。
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明治9年に藤枝村の一部に。藤枝村はかつての桜井村で享保11年より藤枝村に改称。金木新田地帯の開発に重要な役割を担った藤枝(妻の神・才野神)溜池(元禄14年完成)があります。
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元文元年の検地帳によりますと惣染宮が見えます。明治6年に保食神社に改称。
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金木にもう1社保食神社があります。
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両社の関係は不明ですが、芦部村地内の惣染堂は宝永年間(1704-1710)の勧請(又は正徳2年(1712)勧請)で、八幡村稲荷社に合祀(明治6-8年)後、復社の際には氏子が芦部村と藤枝村の両方にまたがっていたために両村総代の連盟で願書が提出されたそう。
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享保15年(1730)創建と言われる十三村湊迎寺末の浄土宗紫雲庵(藤枝村)はかつて浄円庵という名でしたが、芦部村惣染堂(現保食神社)境内の藤の花にちなんでそのような名に改名されたといいます。
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部分林造成記念碑(昭和33年10月14日)。
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庚申塔(大正13年)。
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「地主法名釋(静正・量知・浄勧・妙子・妙理)塔」(天保10年)。
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