
御祭神は譽田別命、大山祇神。



かつての宮田村。貞享4年検地水帳によりますと、八幡社地が見え、村内東部の山際にある八幡宮は東岳山坊とともに坂上田村麻呂に関連すると伝えます。

元々は宮田村の東南東にあり、安政2年神社微細社司由緒調書上帳によりますと宮支配修験社家として承応元年(1652)遷座して再建、更に新撰陸奥国誌によりますと創建不詳で万治3年(1660)村中合力して再建といいます。明治初年には相殿として矢田村から遷した日吉神、三本木村から遷した八坂神、滝沢村から遷した大山祇神がありました。


元の八幡社地には見事な乳根を垂れる銀杏があり、授乳神として婦人の信仰を集めました。


青森県神社庁HPによりますと永和年中(1375年頃)北畠顕能卿が建立。万治年中(1658年頃)、弘前町の武士棟方角之亟が部落の背後にある東岳を修業の場とする為に再建。寺社領分限帳によりますと元禄15年(1702)に大行院の修験の大峰派、羽黒派に属しています。

明治6年3月村社に列せられたのを機に、近隣の原別部落で易者を営む工藤齋祈を初代宮司に任じて現在に至ります。

八幡宮は東岳の麓に鎮座し、氏子は宮田八幡宮と呼び、元旦には家族の人数分のお供餅を神に捧げて、日の出とともに元旦祭を行うのを恒例。また、宮田では古くから獅子舞が伝わり、獅子頭が奉納されています。獅子舞の関係から尾上の猿賀神社とも縁が深いそうです。


本殿。かつて奥の院をつくる際に古銭がたくさん出土したといいます。


社殿前の狛犬が個性的。



御厩舎。


資料館・社務所…とありますが、中は物置でした(笑)

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