イメージ 1
かつての虹貝村で北流する虹貝川の下流に位置し、北に宿川原村、南に細越新田、その南に蛇石新田の二つの支村があります。
イメージ 2
山役人が直接森林を管理する番所があったほか、鉱山の開発も盛んな地域で、寛文2年(1662)5月に虹貝金山の経営に着手しています。
イメージ 3
イメージ 4
参道がかなり急です。
イメージ 5
下から見ると神社はこの辺りに位置します。
イメージ 6
狛犬一対。
イメージ 7
イメージ 8
さて、登りましょう!
イメージ 9
参道は距離的には短いのですが、道は狭く勾配もありますので気をつけてくださいね。
イメージ 10
イメージ 11
大きな岩が見えてきました。
イメージ 12
イメージ 13
イメージ 14
江戸時代における白山大権現堂。
イメージ 15
イメージ 16
御祭神は白山姫命(菊理媛命)。※社殿内には伊邪奈岐尊・伊邪奈美尊とありました。熊の絵馬もあったので熊野宮との合祀の絡みかも知れません。
イメージ 17
イメージ 18
イメージ 19
創建は恐らく室町時代で、元和元年(1615)3月16日村中再建。
イメージ 20
イメージ 21
長利家文書によりますと白山岩屋堂とあり、元和元年北村藤九郎建立。
イメージ 22
イメージ 23
白山之宮は古来より御神体は岩穴の中に鎮座し、その由緒は不明。南北朝時代に白山信仰が盛んになり、南北朝争いが激しかった津軽にも秋田方面(山越えの道)から修験者が入り、この地を修行の場としたと考えられています。ちなみに北村藤九郎は4代藩主信政の家老にもなった人物であることから、大鰐には度々訪れていたと考えられますが、白山信仰との関りについては詳細不明。隣には稲荷の祠もありました。
イメージ 24
イメージ 25
アブ石の岩穴に鎮座。
イメージ 26
イメージ 27
イメージ 28
明治の神仏分離の際に虹貝の熊野宮に合祀されるも、願主山内善之助をはじめとした村の信者により再興。
イメージ 29
イメージ 30
巨石が崩れてきそうで怖いです。
イメージ 31
イメージ 32
イメージ 33
寛政8年(1796)5月19日に菅江真澄が早瀬野村から鯖石に向かう途中、「ひき石のある草むらから坂を左手にはるばるとのぼると、小さな岩屋のうちに、おしら神を祭っていた。ひめしらというのであろうか。このあたりの委託巫女が、祈りごとをする神である。遠方に島田村のおばさつふり山が、北山などのように眺められた。」と記しており、おしら様信仰の場であったことがわかります。
イメージ 34
これがオシラサマ!?さんすけに見えます。新しい本殿の方に祀ってあるのかな。
イメージ 35
白山岩屋林手前で虹貝川が大きく迂回しています。白山宮下には蛙の形をした大きなビキ石(蛙石。現在は採石置場に四半分埋没)があり、それを上流から追いかけるように見える大きな雌雄の蛇(龍)の形をした蛇石が川の中に見えます。大蛇に追われた蛙が白山神に助けを求めて祈ったところ、大蛇が動けなくなったという言い伝えがあるそうです。
イメージ 36
また、白山宮とビキ石で祈祷をすると雨を降らせている竜神の大蛇石を宥めることになり雨は止み、逆に雨乞いの際には川中の蛇石の上で祈祷をすると蛇をゆり動かすこととなり雨が降るといいます。
イメージ 37
実際に大旱魃であった享保10年(1725)と享保11年に、日精寺二世の日真上人が蛇石の上に自作の日蓮上人像を立てて雨乞いの祈祷し、2回とも見事に雨を降らせたことで有名になっています。また、この蛙石と蛇石については菅江真澄も記しています。ちなみにどの石かはわかりませんでした(笑)写真は撮ってませんが、神社より少し先の大きくカーブした所にある石かも知れません。
イメージ 38
イメージ 3
イメージ 2