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御祭神は保食神。
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創建は不詳。
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宝暦9年(1759)の神社書上帳によりますと、大泊村稲荷大明神と見えます。
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安政2年(1855)神社書上帳によりますと、創建不詳の稲荷宮、社地東西6間、南北7間半があります。当時の境内は300坪。
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明治初年には一時期今別村の八幡宮に合祀されています。
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現在の社殿は明治14年新築で、木村円吉氏の寄進。
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天保年間(1830-1844)頃には鋳釜崎南方のろし山に岩木山祠を祀ったことが言い伝えられていますが、過疎化によって旧8月朔日のお山参詣は衰退。
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昔は祭典の日に男女互いに顔にしとぎ(米粉を水で煉ったもの)を塗り合う風習があったそう。米粉は稲荷の神への願いであり、それをシラコと呼んだのは魚のシラコに見立てての大漁祈願の意味がありました。
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神前幕に「一本木中央漁業協同組合 大泊うに船団一同」とありました…うに船団に入りたい。神前幕の上には刀も見えました。由緒もありましたがよく見えず。
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社殿側面には蛍光色が使用されていました。
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