かつての大姓村です。東は枝川足水堰、南は小幡村、北は菖蒲川村に接します。
天和3年(1832)の御代官所村家人数之帳によりますと、上大姓村と下大姓村に分かれていたようです。天保5年(1834)には岩木川決壊により591石余が砂入りの被害にあっています。
御祭神は天照皇大神。
延宝9年(1681)の堂宮神主山伏行人之覚によりますと、万治3年(1660)の建立。縁起に「津軽百助信隆の草創也、工藤権太夫へ社務被仰付、姓を小野井と改む、御供田並御幕燈籠を奉納せらる」とありますが、百助(信隆)は万治元年に亡くなっており、小野井と改称したのは権太夫ではなく10代治部太夫の時代であり、百助の草創ではないと考えられ、また、御供田と神具を寄進したのは百助朝喬ですが、朝喬の創建とも考えられず、大姓村が朝喬の知行地であったため、神社を創建し御供田並に神具を奉納したものと考えられる。嘉永5年(1852)、幕・燈籠の破損がひどく、津軽家から再度寄進されています。この際の幕・燈籠・太鼓は現存。明治6年に菖蒲川の神明宮へ一時合祀、同8年復社。
狛犬一対。
国威宣揚武運長久祈念碑。
末社。
中には白馬が祀られていました。
両脇には狛犬や亀も。
馬頭観音。
庚申塚と大黒様。
こちらも庚申塚…うん?
庚申塔の横に猿っぽい(猿じゃないかも!?風化してわかりません。猿は胡坐しないよね)の石像(笑)
風化が進んでおり何とも言えぬ風貌です。
猿の足元にも何かがありましたが、風化&破損で判別できず。
御神木。
かなり大きいです!
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