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かつての花巻村で、黒石城下東南の山形街道に沿い、豊岡村と下目内村の中間に位置。元禄2年(1689)の黒石平内巳年郷帳には「小杭野村」、元禄4年(1691)の黒石御絵図には「小喰野村」とあります。改称の由来・時期については不明で、安永10年(1781)の手本山形道中記(浅瀬石川郷土誌)では「花牧村」とあり、「専田畑を耕し家並もよく富貴なる所なり」とあります。また、菅江真澄の記録によりますと、小杭が子喰いに通じることによるといいます。なお、菅江は当神社については触れていません。当村は縄文土器の出土で知られており、寛政10年(1798)に菅江は花巻で出土した土器を記録。円筒土器等が出土する村の南側の鷹待場は花巻遺跡と名付けられています。
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菅江真澄の津軽の奥より…『花巻についた。むかし、牡丹平を大杭村といい、この花巻を小杭村といった。そのころ、孫次郎というものがいて、「これは子をも食い、孫までも食ったのか。子喰村の孫倉というのは鬼であろう」などと人に言いたてられ、世間のきこえがよくないというので、村の名を花巻といいかえたという。しかし花巻の地名はむかしここに牧場があり、その牧のめぐりにさした古杭が、そこに朽ちのこっているところから、大杭、小杭などとよんだ名なのであろうか。とはいうものの、この土地は馬を飼った広い野もみえないので、別な方面からこの名だけついたのだろうか。』
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御祭神は大山祇神。
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宝暦9年(1759)の黒石神社書上帳によりますと住吉宮があり、明治初年の国誌では元禄2年(1689)勧請の大山祇神社が記されています。
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青森県神社庁HPによりますと、草創年月日不詳で、古来より現境内に大山祇神を祀る小堂あり、小喰野村にて産土神として崇敬。
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天正年間(1573-1592)当国戦の際に村中並びに堂宇破損或いは焼失されて再建ならず。その後、慶安3年(1650)6月に村中にて堂宇新築。
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明治4年村社に列せられ、同6年5月9日豊岡村稲荷神社を合祀、同8年4月26日豊岡稲荷神社を復社。
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末社など。
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平和の光…『吾々は吾々の心の中に平和の塞を築かなければならない』
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こちらは…うーん…読み取れません。
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神社向かいにあった庚申塔。
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