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社号標の横…
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むむ?
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入口に案内板がありましたが、油性マジックなのかほぼ読めず。せめてもう少し低い位置にあればなぁ。内容は御祭神について、八幡宮を合祀していることについて、あとは熊野信仰についての一般的な説明や板碑について書かれているように思えましたが自信はありません。
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百沢道沿い、東は駒越村、北は土堂村、西は高屋村、南は真土村に接します。
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岩木川の氾濫で表土が薄く、下は川原であったことを示す玉石が多いのが特徴。
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村名は岩木川の中洲に出来た集落であり、また氏神が熊野宮であることに由来。
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御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。上村の八幡宮(太田勇氏所有の畑6畝ほどの場所が八幡宮跡)を合祀しているため誉田別命も祀ります。ここの熊野様は熊野速玉男神(船神様)を祀ったもの。千石船の絵馬が奉納されているそうです。
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開創年代不詳。明治4年に高屋村愛宕神社に一時合祀するも後に復社。
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狛犬一対。
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手水舎。
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御神木メタセコイヤ(曙杉)。皇太子殿下御成婚記念。
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摂社の山ノ神。
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山神の向こうには岩木山。
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田地分与記念碑、庚申塔(元治元年)他、色々な石碑がありました。
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岩木山三所大権現(天保12年8月1日)。
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こちらは達筆過ぎるので読みたい方だけどうぞ(笑)
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こちらは板碑と共に八幡宮から移されたものでしょう。
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猿田彦大神(紀年銘:文政5年、天保3年、天和年中の3基)。
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馬頭観音(紀年銘不明。岩谷権左エ門建立)。
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神域拡張記念碑(昭和15年11月10日、皇紀2600年記念)。
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金剛界大日如来の種子バンを刻む板碑(高さ78cm、幅69cm、厚さ25.5cm)。元々は南方長瀬堰の畔に残されていたもので、後に当神社へ移されたました。鎌倉時代のものらしいです。
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