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江戸期は沖館村。当村の枝村として古川新田がありましたが後に分村して古川村と改称。貞享4年(1687)検地水帳によりますと、観音堂地(馬頭観音を祀る惣染堂)、薬師堂地(神仏分離で久須志神社に改称)、稲荷宮地があります。地内西部の小浜にある稲荷宮は慶長元年勧請とあり、沖館・古川両村の産土神でした。宝永7庚寅年・宝暦9巳卯年の御棟札があります。
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当社は第106代正親町天皇の御代に藤原家のある子孫が陸奥国平定の命を受け、御神体を上方表より背負い持って来られ、沖館村と古川村の産土神として勧請。
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御祭神は倉稲魂命、須佐之男命、大市姫命。倉稲魂命は須佐之男命と大市姫命の子ですね。
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青森県神社庁によりますと、佐藤家に伝わる安政2年頃の覚書があり、「天正年間に佐藤讃岐大輔藤原久信なる人物が、上方表より二人の息子、衛門太郎元祐、衛門次郎元吉らと共に祭神を背負って当国へ下ってきた」とあるそう。
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当初の遷座地も不明ですが、天正6年(1578)(※もしくは慶長元年(1596))に稲荷宮を勧請して田畑を切り開くと共に、住民やその子弟らに読み書きを教え、やがて村塾に発展。その村塾が明治9年(1876)に小学校となり、 現在の青森市立沖館小学校に至っているそうです。初代校長は元祐の子孫である佐藤元衛が務めていました。
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一方、元吉の子孫には青森の初代町頭となり、後に町年寄役を世襲した佐藤理右衛門がいます。理右衛門(襲名)は善知鳥村が青森村と改称された寛永元年(1624)の頃で、信牧公に建言し森山藏之助弥七郎奉行の命を受け、当時の油川にあった港を青森村に移す作業を推進し青森港と青森町づくりに貢献しました。
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境内には二宮金次郎の石像。
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台座には『読書に親しみ豊かな感性と知性を磨き、広く世のため人のために尽すと共に地域の発展に貢献する人材の出現を期待してこの碑を奉献する』とありました。
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二宮金次郎についての説明板の下にも狐を従えた二宮金次郎。
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こちらの狛犬…台座が太宰治の『走れメロス』の石碑になっています。
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太宰治の長女である津島園子謹書…『あぁ、鎮めたまへ、荒れ狂う流れを!時は刻々に過ぎて行きます。』
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もう一つの狛犬の下には衆議院議員津島雄二謹書とあり、明治天皇御製『さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきはこころなりけり』が彫られていました。
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狐様がオシャレ。
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あっ、拝殿内に何かがいる!
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狐様のねぶた!
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しかもねぶた師の北村隆・北村麻子氏によるものでした!
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庚申塚。
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社務所駐車場の門にいる狛犬一対。
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シュバイツァー博士一人。
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