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湯段温泉にある薬師如来です。
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湯段温泉は岩木山の南西麓、標高約400mの地にあり、享保9年(1724)に賀田村の柴田長兵衛により発見され、元文2年(1737)には長兵衛により湯小屋が経営され、以後その子孫が温泉宿の経営を担ってきたそうです。菅江真澄が次のように記しています…『こうして岩木山の麓近く、ふたつもり山、杉が平を過ぎて枯木平の牧に出た。放馬は冬がくると家に入れて飼うのだという。湯谷(もっぱら湯段といっているが、谷をたんと言い違っているのであろう)の温泉の部落の長、長兵衛という人のところに宿をもとめた。』、『だけの湯の部落をたって、湯谷(湯段)のいで湯の部落に行った。この道のかたわらに、ちょうど赤土のような湯の渋が流れかかって、田井のようなところがあった。この土を馬が好んで食べる。』。
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大きな石碑。
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石碑の状態は良く、文面も読める感じですが…
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せっかく案内板があるので(面倒なので…)省略。
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遺跡内容…『この碑は湯段の村長6代目柴田長兵衛が元治元甲子年4月8日(1864年)に津軽藩学問所御用係の戸澤盛養に記させて建立したものです。文体は、漢文調にして簡略。温泉と薬師如来、柴田家の由来などをのべています。銘に「わたくし六世(六代目)の先祖長兵衛は越後より来て賀田村(岩木町)に住む。湯段に湯が湧いているのを知り、ここに移って享保九年(1724年)に温泉を開いた。」と記した家伝によると長兵衛の先祖は天正11年(1583年)賎ケ嶽の戦いの時、秀吉に滅ぼされた柴田勝家の一族であるという。又、左の小さい碑は安政4丁巳年(1857年)に西目屋村(大秋)方面から湯段に通じる道の通称かたくり山の山麓道(中村林道・乗廻橋方面)と湯段の分岐点に配置された追分石です。大小2つの碑は神社新築移転により平成12年4月に現在地へ移動したものです。』
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こちらが追分石(安政4年)。
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右:湯段、左:山道。
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