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はじめ芦萢中、文禄2年(1593)には水鶏村、天和4年(1684)には水鶏館村と称しています。幕末の床屋手牒に庵寺が見え、これは法政庵を指し、開庵年月日は不詳。この法政庵が正法庵でしょうか。元禄時代(1688-1704)に正法庵をむすんだという説もありますが、いずれにせよ開基・開山等由緒は一切不明です。
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村人たちが極楽浄土を求めて懺悔し説教を受ける、心の拠り所とした説教道場が前身とも云われ、庵主として説教をした藤田氏は明治16年に他界し、その後何人かの庵主が護持に当り、昭和39年には新貝省道氏が庵主を務めるも平成13年に他界し、その後は無住となって、現在は地区で庵の護持に当っています。
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正法庵の脇持として安置されている2体の羅漢仏は明治初年の廃仏毀釈の際に打ち捨てられたものをここに安置したとされています。
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庚申塔(猿田彦大神)、二十三夜塔、百万遍塔
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地蔵堂。
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馬頭観世音。
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常盤村文化財指定五百羅漢像二体…『当庵入所の由来等については不明であるが、356年前の古仏像で、津軽の宗教史上、神仏分離資料として貴重なものである。これは旧岩木三所大権現の山門(現岩木山神社楼門)上に、津軽藩2代藩主信枚によって奉納された五百羅漢像のうちの二体で、明治3年12月、神仏分離によって散逸したものと推定される。昭和61年3月31日』。長勝寺以外にも残っていたんですね。
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