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八幡多目的集会所隣。
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集会所前に地蔵堂。
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大浦城址の近くで、慶長17年までは村の東北端に弘前藩総鎮守八幡宮があった地。西にはかつて三面荒神が祀られていた荒神山があります。
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由緒等不明ですが、その荒神山を越えた先(宮地村)にも白山神社があり、そちらには白山神社についての説明があります。
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旧岩木町の神社には案内板の設置されている神社が多いのですがここはありませんでした。いずれにしましてもこの地方の白山信仰はどこも歴史が古く、室町期以前まで遡るようです。『津軽ふるさと散歩』には「八幡にいまひとつ小社ではあるが大切な堂社がある。それは白山様で、白山信仰の解明は直接、岩木山信仰につらなり、ひいては比叡山文化-上方文化の津軽への浸透、定着の証明ともなるものである。岩木町にはこのほか、馬子橋にも古い白山宮があり、五代にも小社があるし、鳥井野にも白山姫社がある。」とあります。
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台座は立派なのですが狛犬はとても小さいです。
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手水舎。
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社殿はなく、祠には不思議な石が祀られています。
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『津軽ふるさと散歩』によりますと、『この八幡の白山宮の御神体が「石」であることは非常に重要で、私が「岩木山信仰史」を書くようになったのは、弘前公園の藤棚の近くの小社の白山様の御神体が毛髪と石であることからスタートした。(中略)加賀(石川県)の白山社まで出かけることになった。この北陸の名山が、石と女の竜神と十一面観音信仰で岩木山信仰と全く同じであることがわかった。(中略)八幡の白山様の御神体石や境内の力試石を見ることをすすめる。』とあります。
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庚申塔と読み取れない碑。
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この辺りでは珍しい力石群。
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台座には重さも刻まれていました。
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一番右の力石だけは名前まで読み取ることができます。昭和の紀年銘なので比較的新しいものですね。
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