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慶安元年に漆木畑を主体として開村し、漆栽培が盛んだった地域。昔は石神神社・淡島様とも呼ばれていました。安政2年神社書上帳に明石明神が見えます。明治6年には横内村の大星神社に石凝姥命を遷座合祭しますが、大星神社は遠過ぎるとの理由から地元に社を建てたといいます。
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漆栽培畑の中にあった4つの大石を産土神として崇拝。天明の大凶作の際に村全体が横内川近くの台地に移転した際、この大石も移して明石神社として祀ったそうです。また、弘前藩士笹森実定(明治14年)が描いた絵馬や弘化4年3月の棟札が残されています。
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菅江真澄のすみかの山には次のような記述があります…『大矢沢の部落を経てゆくと、四ッ石という部落がある。ここで四ッ石を神にまつり、それで村の名ともしている。その石神に鳥居がいくつもたっていた。』。
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これがその四ツ石なのでしょう。
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こちらは猿田彦神・天鈿女神かな。
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末社には稲荷様があり、この祠は昔の奥の院だったそう。
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