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青森市羽白付近を散策していたら、踏切に「飛行場道路踏切」とありました。
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帰宅して色々調べていましたら、かつてこの一帯が青森飛行場であったことを知り、後日またその痕跡を探すべく訪問・散策しました。結果、土地感もない20代の私にとってその痕跡を見つけ出すことは厳しかったものの、油川市民センター前にて記念碑を見つけることができました。
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なお、「青森飛行場」でネット検索すれば、かなり詳細なホームページや動画(YouTube)まで見つかります。「旧青森飛行場の歴史を伝える会」があるらしく、特にその会によって作成された動画は面白かったです。興味のある方はご覧になってください。
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青森市大字羽白字富田・字池上・字沢田・大字西田沢の一帯にかつて青森飛行場がありました。昭和8年(1933)3月30日竣工。昭和22年(1947)引揚者の入植地となります。
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『青森飛行場竣功(東奥日報紙 昭和8年6月11日紙面より)…「慶袤16萬坪青森飛行場は竣功した。逓信省が昨年の議會に於て本州北海道の縦断航空路の完成を計畫して飛行場新設費を計上し青森市は本州の北門を扼し、津軽海峡を隔て、北海道と相遞するの重要地點なるが爲め新設飛行場の候補地として青森市は第一に選定され、爾来関係者の間に飛行場の場所銓衡が行はれた結果市郊外油川町に決定を見るに至り昨年九月より穂積組の手により工事を繼續し青森飛行場として茲に竣功を告ぐるに至ったものである。…矢野蓬矢 旅客機は見えたり甲田は青嵐」』
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『旧青森飛行場で実際に使用していた格納庫(農協倉庫として使用)を、2004年7月に解体される際に鉄骨の一部を譲り受け、この度、飛行場の歴史を後世に伝えるべく、記念碑として保存することとしました。貫通銃傷部は戦時の際の痕跡と思われます。併せて、飛行場正門の門柱として実際に使われていた門標石も篤志企業により保存されていたものをご厚意により寄贈移設させていただいたものです。2013年9月21日 旧青森飛行場の歴史を伝える会』
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実際に使われていた門標石(台座へのはめ込み時期は不明)。平成25年8月まで株式会社トーモク(前身は青森ダンボール)に保管されていたもの。
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旧青森飛行場格納庫の鉄骨の一部(解体時まで油川中学校正門前に現存)。
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油川中学校とかつての格納庫。
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