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早瀬野村は虹貝川に島田川が合流する地点で、東に島田村、北に虹貝村の支村蛇石新田があります。
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『津軽歴代記類』によりますと、重臣高坂蔵人が2代藩主津軽信枚と対立し、慶長17年(1612)6月20日に弘前城中で謀殺され、蔵人の家族及び家来は屋敷に籠って最後まで抵抗するも討たれ、高坂方についた二本柳三郎右衛門は早瀬野口から秋田領への脱出を図ったが討取られたとあります。虹貝川を遡って秋田領へと抜ける道は早期より間道の1つであり、早瀬野の脇道番所は碇ヶ関番所を助ける補助的な位置を占めていたそう。
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社殿。
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ジャンバラ注連縄。
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狛犬一対。
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久須志神社の御祭神は少彦名命。ここから約12km離れた薬師如来を祀る石之塔薬師宮(元和9年(1623)再建。明治4年に末社号の久須志神社に改称。奥宮。)の里宮(末社)になります。現在はそうでもありませんが、菅江真澄がすみかの山でも記しているように、江戸時代に石の塔薬師へ行くのは大変困難な道のりだったそうです。そこで延宝7年(1679)に単独の遥拝堂として早瀬野村内薬師堂を建立。この際に石の塔薬師堂内の薬師如来を降臨遷座し朝夕礼拝信仰しました。本尊は薬師如来像ではなく、あくまでも早瀬野村鎮守の石の塔であり、この薬師如来像を通して石の塔を礼拝するという村内の便宜上の堂ということです。
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末社の大山祇神社。
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いずれの末社内にも薄紙が付いたままの神宮大麻が祀られています。
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末社の稲荷神社。
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一番小さな末社の祠には石が奉納されていました。
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紀年銘明治丗3年の庚申塔。
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こちらは久須志神社から少し離れた場所にある馬頭観世音です。
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丁寧に祀られております。
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