
神社入口にあった菅江真澄歌碑「花の木をくだすもうしと山賤の とらでやしばし斧懸の松」(寛政8年4月)。



一の鳥居付近にあった保食神石碑。


猿田彦大神・天鈿女命石碑。

かつての戸山村。斧懸神社の創建は不詳ですが貞享年間(1684-1688)には戸山村北部にあった支村の貝久保村にありました。



元文元年(1736)戸山村・戸崎村両村安全のため再建。

国誌によりますと、砥石神社と改称し、再び斧懸神社と改称。

戸山・戸崎両町会の産土神で明治6年村社。現在は諏訪神社(青森市栄町)の兼務社となっています。



御祭神は大山祇神で、安政2年神社書上帳によりますと、斧懸明神一宇、本殿栩葺2而建坪3尺4面、拝殿萱葺2而建坪3間4面、年々4月12日御神楽執行とあります。



菅江真澄が次のように記しています…『砥山という村があり、斧掛明神という神社があった。その由来をたずねると、斧かけの松というのが御社のかたわらにたっていた。むかし、木こりが宮木をきろうというとき、まず斧にみてぐらをとりそえて、これにかけ奉ったという。ここにある研磨石は、青砥山にある細かい砥石にもまさるよいといしであるが、神のおられるところであるから、祟りがあるのをおそれて掘りとらず、質のよくない砥石を砥崎の境から掘り使用するのだと、村長がいった。山の神をまつる社にぬかずいた。むかし、このあたりは荒磯、入江などで、その岸づたいにゆききしたところであるが、兵人越、あるいはひょうひょう越という名が伝わっており、また、この砥崎につづいて桑原の村にはいると…(以下省略)』

斧懸の松。


斧懸の松の横には東屋があり、青森市内を見渡せます。


末社久須志神社。



こちらも末社。




本殿の真裏にも参道が続いていました。


足場はあまりよくありません。


道中は何もなく…裏側に出ました…ぐわっ(笑)こちらは戸崎方面からの裏参道というわけですね。

コメント