
かつての戸門村です。


昔は外鹿渡村とも書きました。

神社は戸門城址となっている山の中腹に鎮座。


貞享4年検地水帳によりますと、薬師堂地(境内林5反余)、八幡社地、阿弥陀堂地、山神林、雷電社地が見えます。八幡社は大袋村の分村とともに同村の産土神となり、阿弥陀堂、山神、雷電社については不詳。

参道石段横や境内に村社八幡宮を刻む碑がひっそりと残されています。



当久須志神社は上記の薬師堂になります。

御祭神は大己貴命、少彦名命。

創建は不詳。寛永元年(1624)に村中にて再建。


明治の神仏分離後に久須志神社に改称しています。

狛犬と御神馬一対。


頭が大きくて可愛い狛犬さんです。


手水舎と不明な石。力石のようにも見えます。

こちらは倒木した御神木。

根元にあった紀年銘昭和の石碑に「サクラ十才」とありました。

皇太子殿下御渡英記念碑。

老壽會講話記念碑。

月夜見命、猿田彦大神、郷土力士碑、御婚礼記念碑。


戦病死者英霊碑、大東亜建設記念碑、二十三夜塔、庚申塔など。



御神馬、馬頭観世音。



こちらも馬頭観世音。

眼神。薬師様は眼病に霊験あらたかといいます。

鶯塚。

石灯籠など。

獅子頭もありました。

こちらは倒木した御神木上に獅子頭。

この他にも境内には石碑がたくさんあります。





破損・風化しているものが多いのですが、その理由は下記の戸門三十三観世音の由来を読めばわかります。



そして、ここにある石碑のほとんどはかつての戸門三十三観世音なのです。



かつての戸門三十三観世音であることを示す建立記念碑(紀年銘昭和10年相馬藤吉他)。

相馬藤吉翁頌徳碑。

聖観世音菩薩。

神社の境内から更に上へ向かいますと昭和62年に建立された新しい戸門三十三観世音があります。


ここが戸門城址になります。



かなり広いです。整備も行き届いていますね。

中央には聖観世音菩薩像。

由来を刻む碑。


『昭和10年、故相馬藤吉翁、一念発起観音像建立を発願し、時の校長大塚桂次郎先生の協力のもとに刻苦精励ついに三十三体の観音像を開眼、戸門城址に安置し、香煙のたえる時なく経過し以来50数年風雪にさらされ豪雨に洗われ風化はなはだしくついに信者一同再建を決意 建立役員を選出、その後営々ととして6年間あらゆる困難に耐えながら悲願達成のため努力し、ここに建立開眼の喜びにひたる事が出来たわけであります。観世音菩薩は西方浄土の方向に深い慈愛に満ちた御尊顔と光明無辺、天衣のお姿で、風光明媚のこの地、戸門城址に来迎したのであり、菩薩の本願である広大無辺の大慈大悲の御力で、衆生を苦悩から救済される事を願うのであります。昭和62年9月17日建立。』

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