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御祭神は武甕槌命。
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かつては毘沙門堂であり、大同2年の勧請と伝え、貞享4年検地水帳によりますと、堂地2畝20歩・境内林1町7反余が除地。
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明治3年に神仏分離によって鹿島神社に改称し、川原平村・藤川村から勧請した稲荷神2神と居森平村・砂子瀬村から勧請した山神2座を相殿として祀っています。
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出羽国扇田の鉱山山師津国屋藤八寄進の石灯籠一対、弘前親方町竹内勘六(尾太鉱山最盛期の経営者)寄進の御神灯籠一対(享保6年)、他二対の石灯籠があります。
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狛犬一対。
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個性的です。
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現在も社殿内に2体の仏像(1体破損)が安置されており、これは菅江真澄が見た仏像と同じものです。この仏像は坂上田村麻呂の手彫りと伝えます。高さは約1.4mと1.8m。
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『坂上田村麻呂将軍を祀っている鹿嶋神社拝殿に安置されている仏像は、将軍が地方征服した際、桂の木を伐りとり彫刻したものであると伝えられている。平成18年には村市地区の村民によって同社建立1200年祭が盛大に行われた。』
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平尾魯仙「香取神社 村市村 区中の図」青森県立郷土館蔵。
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池の杉・竜の杉と呼ばれる老杉の幹があり、昔は中ほどから折れ、くぼみには雨水が溜まって池となり、フナが住み着いていたと伝えます。この池には竜神も宿っており、日照りが続くと姿を現して雨を降らせたという伝説もあります。現在はこの木は存在しないようです。
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菅江真澄が以下のように記しています…『太秋(たやけ、大秋)という村にはいり、左方に鶴田というところも見えて、危げな橋をわたり、郷坂というおそろしいほどの坂を左にして、ふか沢という、たとえようもないやけ山にわけいった。滝の沢というところをへて、遠方に合頭という岳を眺め、川にそってはるかにたどり、村市村を過ぎて、つづら折りの道をくだり、大路にでて、ここに宿を求めた。(中略)藤川という村の、こちらの畳平という村からはいり、おおひらの山の麓、守沢というあたりに、大同年間の由来をもつといい伝えられている多門天の堂があった。(中略)六、七尺ほどの朽ちた古像がふたつたっていた。この堂の後方に人の丈の高さのところではかると、周囲七尋(12mくらい)ばかりある大杉があった。(中略)この幹の真中あたりのところが朽ちて、その空洞に水がたまり、これを池の杉とよんでいる。三枚平という峰にのぼって、この杉の真中の空洞をみていると、ときには鮒のおどることがあるなどと、案内人が指さし見上げながら語った。』
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また、青森の伝説によりますと、『境内に、仏桂という老木があった。いつのころか、村の山子(木こり)たちがこの桂の木を切ったところ、血が流れ出した。そこで神様に詫び、その木で仏像を刻み、堂の中に安置して桂の霊を慰めたという。』
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末社群。まずは不動明王。
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山の神様。
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お稲荷様。
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鬼神様。
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