
三叉路の小高い丘の上に鎮座。義経北方伝説を残す神社ですが、町中の三叉路の中心にあるというだけで、昔から変わらずここにあったことに真実味を持たせます。義経は日頃信仰していた京都の藤ヶ森稲荷神社を八戸市類家に勧請したのが類家稲荷神社。この一帯を「京ヶ原」と命名し、洲崎(洲が水中につき出してみさきとなった所)となっていた今の三八城公園あたりを「京ヶ崎」と呼びました。また、京ヶ原の東は柏の木が茂っていたことから「柏崎」と呼びました。

館鼻稲荷大明神=類家稲荷大明神なのかな。館鼻稲荷大明神は同村百姓孫左衛門という者が数代持来る所で元文年中より別当は安部播摩守といったそうです。祭日は9月29日。

義経北方伝説の説明看板。

当地方の伝説によれば、義経は平泉から北へ逃がれ八戸に上陸し、市内の高舘に住んだと云われています。その時義経は家来の常陸坊を京都へ派遣し、日頃信心している藤ヶ森稲荷を勧請することにしました。


京都の稲荷社から土を一握り持参させ、その土を埋めさせた所に作ったお宮が藤ヶ森稲荷です。それは建久2年(1191)の5月のことでした。


義経はしばしば高舘から参詣にやってきました。その時装束の烏帽子・狩衣などを置いた場所が烏帽子屋敷(ぼっち屋敷)の名前の起りと云われています。烏帽子屋敷は類家二丁目付近で現在の芭蕉堂公園。


不思議な木がありました。

中は空洞。

年中コタツ完備。

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