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慶長年間(1596-1615)、津軽為信公が眼病に罹り、「大鰐の湯で目を洗えば治る」という薬師如来のお告げを夢に見て、大石(竜頭石・湯魂石)の下から湧き出る熱湯を発見したのが大鰐温泉の始まり。※新しい案内板の説明と石碑に彫ってある説明は同じものでした。
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この大石の上に祠を建立したもので、竜頭石は現存しませんが石造の竜の口から温泉が湧き出ています。熱いので注意!っていうか鰐に見えますね。かつての湯魂石は明治5年の神仏分離にて、翌年敷地が埋められ、その時に角だけが見えていたといいます。昭和5年に復活再建。
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横には足湯もありますよ。
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ちなみに大鰐町の由来ですが、かつて大きな阿弥陀如来像があったことから大阿弥陀と呼ばれており、その後、大阿弥・大阿尓が大阿子と変化し、室町時代を経て大安国寺、大姉(アネはアイヌ語で森林がある谷間)と変化し、津軽為信の津軽統一以降に大きな山椒魚(=鰐)が棲んでいたとの伝説から大鰐と記されるようになったそうです。
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また、阿闍羅は阿遮羅(=不動明王)、阿婆羅(=五輪塔)、阿闍梨(=修行僧)、更には聖徳太子が宮殿内に大日如来・不動尊・聖観音の三尊を祀り、阿闍羅不動と称したことなどに由来するそうです。
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慶安元年(1648)に「大鰐江屋形立、湯坪共御普請大そう成事御座候」とあり、翌2年に3代藩主津軽信義が湯治に来ています。以後湯守に工藤加賀助が任命され、湯ひじりと称し、正月7日の七草には温泉熱利用の野菜を献上するのを例としました。また、菅江真澄が寛政8年(1796)に「湯は大湯、山岸の湯、冷の湯、真冷の湯、おがり屋の湯、加賀助の湯、河原の湯とて七ツのゆげた(湯つぼ)あり」と述べており、湯治場として栄えていたことが伺えます。
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