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津軽弘法大師霊場第13番札所。津軽八十八ヶ所霊場第87番札所。
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カレーハウスむら田のすぐ近く。誘惑に負けます。
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かつては南津軽郡浅瀬石高賀野にあって高賀山大善院正伝寺と号していました。浅瀬石城主千徳大和守は慶長2年(1597)に津軽為信に攻められ落城し、大善院は浅瀬石城落城のあと、為信により堀越に移されて、津軽藩代々の祈願寺として信仰を集めてきました。歴代住職は中興開山照円、照猛、照範。高賀山大善院時代の住職は不詳。
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最勝院塔頭として慶長16年(1611)に弘前市田町(弘前城鬼門)に移動しています。※12ヶ塔頭は吉祥院、竜蔵院、觀喜院、西善院、東覺院、正覺院、教王院、神徳院、徳恩寺、寶成院、普門院、大善院。現在弘前の八幡宮境内に残されている板碑はかつての大善院にあったものと伝わります。
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その後、神仏分離によって明治15年に最勝院と合併して銅屋町に移りますが、廃藩後寺領を失い廃寺となったのを明治32年12月、現在地に移転して再興。
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所々読めない部分があり、間違っていたらすいません。
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『弘前城北大善院本尊不動明王也津軽信牧公崇信甚深以爲祈願所明治之初院廃明王入最勝院蒔田照圓師○其再興明治卅三年十二月得官允建一宇因改山號稱成田山大善院師為住職○四明王之威霊再顕初照圓師有所感明王之霊験深入大峰更諸成田不動堂○甞辛酸終爲大先達也聊擧縁由以○不○云○弘前○村○撰大正七戌午年五月廿八日建立願主船水忠五郎敬白』
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御本尊は不動明王(木像一丈)。千葉県の成田山新勝寺に赴いて本山の不動明王と同じ御身体を3年間の歳月をかけて彫刻したもの。ちなみに津軽俗説選にある有名な猫突き不動は、現在最勝院に安置されていますが、元は大善院の本尊であったといいます。
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境内には所狭きと色々なものがありました。一部紹介。弘法大師像。
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大正12年に境内に西国三十三観音霊場を建立。
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狛犬一対。
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みちびき地蔵。
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小さい鐘楼。昭和3年11月に弘前一輪桂光院報恩寺より梵鐘を譲り受けます。報恩寺は4代藩主の信政公追善のために明暦2年(1656)に建立したもので、この梵鐘は信義の側室、悪戸御前が供養のため万治元年(1658)9月に寄進し、その後改鋳。由緒ある鐘でしたが戦時中に徴収されたといいます。悪戸御前は悪戸村の百姓甚五兵衛の娘センと言い、父は士格に取り立てられ、斎藤姓を名乗り代々百石を賜り、明治維新までれんめんとして栄えた家柄。慶応2年(1866)に五所川原お蔵奉行を仰せつけられている斎藤嘉三郎正則はその子孫。
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身代地蔵堂。
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交通安全観音。
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馬頭観音、庚申塔等。
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水かけ不動尊。
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龍神堂。
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七福神お堂。
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