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由緒等は不明です。
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明治4年に新城青森間の道路が開通して油川の人馬の往来が急激に減ったことにより中世以来の宿場町(油川は松前街道の起点であり、羽州街道の終点でもあり、海陸交通運輸の重要な拠点でした。)が衰退していきます。その打開策として明治20年に西田安兵衛が提唱して、油川から飯詰村(五所川原市)に至る飯詰街道を切り開きました。これが現在の津軽あすなろライン(県道26号線)の原点であり、当神社はあすなろライン入口(飯詰方面)付近に鎮座しております。
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当時は多くの人馬が行き交った街道なのでしょう。
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それを偲ばせるかのように一頭の馬と、たくさんの草鞋が奉納されていました。
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