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空白さんのブログ」を読んでいたので場所はすぐにわかりました。小高い丘の上にあります。
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言われてみれば確かに違和感のある丘陵上の森ですが、普通なら通り過ぎてしまいます。そこに気付く空白さん…流石です。下の写真は八重の森から撮った写真。遠くに見える森が加茂神社の森で、その奥に南貞院があります。
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曹洞宗諸寺院縁起志によれば享禄年間(1528-1532)創建、慶長年間(1596-1615)に現在地へ移転。
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曹洞宗 八重山 長徳寺」が弘前の禅林街の地に移された後も、この跡地には11基の板碑が残されていましたが、現在は4基しかなく、内1基は現在「南貞院」に移されています。
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高杉村の八重森には正和元年(1312)、元応2年(1320)の板碑があり、現在は元応のものだけが現存し、中世より大きな勢力を持つ豪族がいたと推定されており、長徳寺創建に何らかの関連があると考えられています。
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板碑の詳細は空白さんのブログを参照してね♪
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聖観音菩薩像がありました。
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台座には『観音妙智力 能救世間苦』。
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再建記念碑。
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『八重山長徳寺は慶長16年弘前城成るの時津軽越中守信枚公の命により100年間佛燈を點しつづけし高杉村八重山よりこの地に移す開山真顛和尚以来代々名僧大徳を迎へ創建には高杉氏中興には高嶋屋藤田氏大いに力を効し檀徒の庇護亦當を得て佛光愈〃輝きつつありしが昭和29年1月27日夜偶火殃に遭ひ137坪の伽藍は惜しくも烏有に歸せり恰も時非艱にして一時はその再建を危まれしも有志直ちに趨って建築復興委員會を組織し委員はその先頭に立ちて東奔西走よく150の檀徒と協力一致し辛勞五星霜漸く150坪の伽藍を再建するを得たりこれ一に佛天加護の然らしむるところよって茲に碑を建てその次第を記し以て永く後代に伝へんとす 谷口雲泉撰文并書』
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八重山土地取得記念碑。
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これは…何かの瓦礫。
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