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御祭神は宇賀之御魂神・宇気物之神・大宮女之神・猿田彦大神。 
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御神体は天童山長松館城主津軽百助信隆(3代藩主信義の弟)が、城の西側に斎し奉った守護神を、信隆が当地へ引き揚げる際に大庄屋大塚又一郎に下げ渡されたものといわれており(正保2年3月17日)、この由来を述べた文書(鰺ヶ沢御館神之由緒記)が大塚家にあります。
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場所はかつての鯵ヶ沢館跡地と考えられます。
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安政2年神社書上帳、共和3年寺社領分限帳には鯵ヶ沢新地山之上の稲荷宮が寛文元年に創立されたとあります。
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また鯵ヶ沢町史年表によれば稲荷宮が漁師町・釣町と新地町町中で建立されたとあります。
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青森県神社庁によりますと、創立年月日は寛永年中。
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明治6年4月村社に列格。明治42年8月神饌幣帛料供進神社に指定。昭和26年10月6日国有境内地譲与許可。
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嘉永3年の松浦武四郎「東奥沿海日誌」によりますと、「新地町此処遊女町にして青楼十四五軒有、側に稲荷社美々敷建り」とあります。
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天童山公園から見下ろした稲荷宮のある西側丘陵。
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御神木。
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境内入口付近に新地町の標柱がありました。
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古くは海士町(漁師町)の一部。後町や青楼ともいわれ、元禄16年(1703)の絵図に新地町戸数31とある。鯵ヶ沢の盆踊りの唄「鯵ヶ沢くどき」の中に、「奥州津軽の鯵ヶ沢港、新地開いた狐のくどき」と唄われ、遊女町として栄えた。」
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