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本尊は阿弥陀如来。
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弘前貞昌寺の支配でした。弘治元年(1555)の創立で一乗院・阿弥陀院とも号しており、開山は良本と伝えます。
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また、明暦元年(1655)常陸国水戸の良心聞益の開基ともいわれます。
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「七月朔日貞昌寺、青森正覚寺、鰺ケ沢本恩寺三寺ニ而殿様より、亥年餓死之七ケ年供養被仰付、親類有之者焼香仕候様ニと被仰付候。但廿一日より三日ノ間也」と記録にあり、元禄8、9年の飢饉による餓死者の供養が行われました。
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明治初年の新撰陸奥国誌によりますと「慶応中類焼して再営ならす、弥陀を本尊として庫裡に安す」とあります。
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有形文化財「岸文靖墓道表」
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「天保10年頃から鯵ヶ沢で岸塾を開いた達仲文靖の徳を慕って、門人飛島謙の撰文によって建てられたのが、この墓道表で法王寺境内にある。岸塾は常に数十人の門人が集まり、経、医学を学んだという。その塾風は家族的雰囲気であったが、文靖の学問の深さに門人は深く傾倒し、勤勉、質素、礼譲、忍苦、従順等の教育目標がよく守られ、津軽地方では屈指の学塾と評価された。」
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釣町の標柱がありました。
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「古くは、海士町(漁師町)の一部。寛永14年頃に釣師の町と呼ばれるようになり、後に釣町となった。元禄16年(1703)の絵図には戸数41とある。」
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