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社号標横の地蔵堂。
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由緒等は不明ですが、昭和11年に36戸(内21人が船沢村出身)が入植して開拓された場所です。つまりそれ以降の勧請と考えられます。ちなみに上弥生は戦後の開拓であり、旧岩木町に属しますが、弥生は船沢地区に属していることから異なる地域となります。どちらの地区の住民も開拓にあたり、とても努力と苦労を重ねてきたはずです。
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保食神社は弥生地区の産土神として崇敬されてきたのでしょう。
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社殿。
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本殿。
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児童愛護林という御大典記念碑には昭和3年11月の紀年銘と富栄尋常高等小学校の文字が見えました。現在の弘前市立船沢小学校です。
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弥生町建立の庚申塔。紀年銘は昭和39年9月10日。
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足元に「S59年結友会12名」という石版がありました。弥生地区の青年部らしく、弥生登山道の刈り払い等の活動が行われているみたい。
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