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今回は笠森稲荷ゾーンです。御祭神は岩手県ゆかりの殉国の御英霊およそ3万5800柱。
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岩手護國神社は明治天皇の畏き思し召しにより、明治新政の夜明け勤王の大義を固守し国事に殉ぜられた郷土の勤王の志士目時隆之進命・中島源蔵命の二柱の御霊を祀るため、明治2年11月2日、岩手郡東中野村茶畑の地に、時の盛岡藩知事南部利恭により創建されました。
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その後、西南戦争、日清日露の両戦役、そして大東亜戦争等幾多の事変戦役で、我が国の平和と繁栄を念じつつ、尊い生命を御国に捧げられた、岩手県ゆかりの御英霊35,700余柱がお祀りされています。
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明治14年、当時の内丸公園地に遷座されましたが、明治39年にはその社地を県社八幡宮の境内に求め遷座されました。
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更に、昭和14年には境内地を拡張して、神明造様式による新たな大社殿が造営され、現在に至っています。
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天皇皇后両陛下(昭和天皇)は、昭和45年10月13日、本県で開催された国民体育大会御臨場の行幸啓の御砌り、畏くも当神社に幣饌料を御奉納の上、御親拝あらせられました。
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招魂斎庭。
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社務所。
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岩手県戦没者遺品館。開館時間は10~16時。御遺族約500名の奉納により、岩手県出身の戦没者の遺品8000余点を展示・保存。昭和60年4月25日、ご遺族をはじめ多くの県民からの寄付によって、平和を祈って建設されたそうです。
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歩兵第三十一連隊戦没者将兵一同之霊。
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ビアク支隊戦没者顕彰碑。
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平和の塔。
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戦没者遺骨奉安殿。
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大東亜戦争無縁遺骨奉安殿とありました。
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ここには身寄りのない戦没者の遺骨を安置しています。
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霊璽簿奉安殿。岩手護国神社に祀られている戦没者と遺族の名前を記した名簿を保管している場所。
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岩手県神社庁より。
『畏くも明治天皇には、維新の大業に際し、殉難死節の士の功勲をご嘉尚せられ、祠宇を設け、厚く祭祀を行うべき旨仰出される。明治2年(1869)11月、藩知事南部利恭は、その聖旨を体し、目時隆之進政明命、中島源蔵常明命二柱を盛岡市東中野茶畑に奉祀したのが本社の創祀である。のちに、官祭招魂社となり戊辰の役、西南の役、日清・日露の戦役、満州事変、支那事変、大東亜戦争に至るまでの殉難の士35000余柱の神霊を祀る。この間にこのお社を、茶畑より盛岡市内丸公園地内に奉遷したが、明治39年(1906)八幡宮境内に、昭和14年(1939)現在地に社殿を造営して岩手護國神社と改称、昭和24年(1949)岩手神社、更に講和条約締結に伴ない昭和28年(1953)岩手護國神社と復称し、現在に至る。』
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神楽殿。
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岩手護國神社入口付近にあった草木之碑。造園のために断ち切られた草木に宿る御霊の慰霊と、草木に関わる神々に感謝を申し上げる祭儀が行われています。
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