
中里町誌によりますと豊岡村は明暦元年(1655)葛西甚兵衛により開村と伝えますが、国誌では「元禄13年(1700)新墾する処」とあり、地内神明宮及び加茂神社の創建も元禄13年となっています。


平山日記によりますと、元禄11年に深郷田新田として藩によって着手されたとあり、恐らく当村の成立は元禄年間。

元文2年(1737)の検地帳によりますと神明宮社地2反余がみえます。

元禄元年、津軽信政が新田開発の際、鎮護のために村内南端に草創したのが神明宮で、同13年に当村に移されています。


青森県神社庁HPによりますと、創建不詳で、元禄13年9月再建(安政年中取調帳)。



御祭神は天照皇大神。

「寛政三年四月」、「文化二年八月」、「文政二年八月」、「弘化三年八月」の棟札があります。


明治6年以前は相殿に加茂宮、稲荷宮の2社を同境内に建立していましたが、明治6年分離し、加茂宮は賀茂神社として4月村社に列格。っていうか…同じ境内にあるように感じます。

向かって右に神明宮と境内社として更に右に猿賀神社。中央に天満宮、左に賀茂神社があります。複雑ですな。

摂社猿賀神社。




天満宮。



お次は隣の賀茂神社。


賀茂神社の創建は神明宮と同じく元禄13年(もしくは元禄2年創建、元禄13年再建)。

御祭神は別雷命、倉稲魂命。


賀茂神社には「御供鳴弦御守二通」があります。

この鳴弦守は神弓の弦を鳴らして妖魔を追い払う神事のことで、7代藩主津軽信寧が吉川源十郎を伊勢に代参させ五穀成就の鳴弦行事を行い、領内諸社に30通を配布したものの内の2通です。

社殿横はトリコロール(笑)

末社。

こちらの祠には…

水虎様。

蜘蛛の巣が…。

河童らしい河童。

ちなみに境内にあった由緒(浄財寄進者御芳名)は以下の通りです。
『神明宮が此の地に創建された歴史は古く元禄三年今より三百有余年前、我々の先祖が御産土神として崇拝し今尚変る事なく氏子並びに地域住民によって崇拝されているところであります。今、この神社境内にひば材の大鳥居を建立せんと氏子を中心に広く浄財の寄進を募りしところ崇敬者の深い御理解と御協力により併せて大鈴一吊、大幟一対に大締縄を添えて奉納し、今後は更に地域住民の幸せを祈願し末永く崇拝するものであります。』

西国三拾三観音碑、庚申塔など。



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