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かつての神明宮館跡。
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この日は黒猫少尉がお出迎え。
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狛犬二対。
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こ、この布は!?
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ガッチャマンⅡ!!
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右手に観音堂参道があり、正面には神明宮石段。
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どちらからも行けます。
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右手の参道を進みます。
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あっ!!
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もしや、すべてガッチャマンⅡ?(笑)
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と、油断していたら…
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ザ☆ウルトラマン!!渋すぎる。
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更には…
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ゼンダマン!!
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ほんとチョイスが渋すぎます…っていうか新しい感じの布だったけど…どこで売ってるの?(笑)
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本題に戻って…貞享4年検地水帳によりますと、今泉村に観音堂地がみえます。
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神明宮境内中腹にある観音堂は津軽三十三観音第16番札所で、寛文9年(1669)に唐崎山(現在の賽の河原)に建立されたもの。本尊千手観音。
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安政2年神社書上帳によりますと飛竜宮と見え、幕末には飛龍大権現を祀る飛竜宮であったことがわかります。
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飛竜宮は明治6年に神仏分離によって取り壊されて、明治8年に青山作右衛門と山本弁蔵が密かに本尊を譲り受けて現在地に再建。
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今泉山山頂に神明宮があります。御祭神は天照皇大神。
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狛犬。
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宝暦7年(1757)・文化7年(1810)の棟札や力士源氏山が幼少に描いた絵馬を残します。
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社殿真横には岩木山大神。
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本殿。
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おや?
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本殿裏手の木にもなぜかゼンダマン。
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下を見下ろしてみました。
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境内社の庚申堂。
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山神堂。
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こちらには水神・不動明王・鬼神。
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3体の水神は綺麗な着物を着用していたため、詳細は不明ですが、どことなく河童にも見えました。
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鬼神は鬼!!鳥居の鬼コとは異なる風貌です。もしかしたらこの地区の製鉄に関係しているのかも知れません。
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今泉川上流の柏木沢に製鉄跡(今泉母沢遺跡)があり、西方七里長浜の砂鉄を水路運搬し、豊富な檜木炭により精錬したと伝えます。慶長15年(1610)に製鉄が始まり、安政6年(1859)、鉄工の明珍重吉あるいは商人の今村万次郎が西洋式製鉄に成功し、万延2年(1861)には弘前藩士楠美庄司を奉行として藩営化されましたが不成功に終わり、明治になってからは小野組によって今泉鉄山が試掘されたものの、明治7年には見込みがないために放棄。遺跡では山神鳥居や、近世後期の鉄滓・肥前磁器等が採集されています。
そういえば高根地区に「鬼神堂」もありましたね。
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むかしより有とも知らぬ今泉 千年の影ぞ有明の月…
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今泉神明宮を出て…
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ちょっと歩いたところにあった大石様神社。
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