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近くに「前田光世先生出生地之碑」があります。行きませんでしたが神社を超えた先にあるようです。
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前田光世についてはこちらを参照してください。
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岩木山麓東に位置する富栄村は、明治9年に鶴田・三ツ森・四戸野沢・小島の4ヶ村が合併して成立。将来富み栄えることを願って命名されたそう。また、縄文時代の遺跡である三ツ森遺跡や中世の戸野沢館跡があります。
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集落の北には血洗川が流れています。かつては折笠館をはじめ、周囲に多くの館が存在していたのだから…血洗川も…(( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
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鳥居の鬼コ。
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背中まで伸びる尻の割れ目。
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狛犬。
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どこか上から目線な表情。
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字平岡には香取神社、字笹崎には神明宮、字浅井には三森神社があります。
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当神明宮はかつての鶴田村に属します。
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貞享4年検地水帳によりますと、村内の寺社として、村中抱えの大日堂地(28間×14間)があります。これが現在の神明宮です。郷土史では神明宮(元大日堂、祭神天照皇太神)を旧村社とし、鶴田・四戸野沢両村の産土神としています。拝殿は萱葺間口一丈に奥行二間一尺、奥殿は板葺四尺七寸に五尺二寸三方縁・前廂・階段付、祭神不明の小堂一宇と宝暦13年6月銘の石灯籠一対。
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社殿内に由緒等がありました。
由緒…『当社は天照皇大神を奉齋し、創立年月日不詳なるも長禄3己卯(1459)年4月、鶴田四戸沢の産土神として再建。明治8年村社に列せられ、昭和22年神社法改正により宗教法人として発足、今日に至る。』
境内地…『356坪。昭和24年8月31日付を以て国より譲與許可せらる。』
境内地…『長15間巾7尺。明治32年5月12日前田兼吉奉納。』
本殿(7合)…『明治39年9月28日新築』
拝殿…『旧拝殿(入母屋造3坪5合)狭溢の為祭事の齋行上不便により之れが新改築は氏子民一同の冀ふところ依りてその一助にもと爾来有志の人々左記金額奉納又境内立木を伐採してその資に充て昭和34年7月着工同年9月現拝殿(6坪神明造)新築落成せり。』
瑞垣(8間)…『氏子惣代前田萬三氏高屋正衛氏前田由太郎氏拝殿新築祈念として奉納。』
神饌田…『四戸沢前田氏より神社維持費を得んが爲壹反二畝昭和22年4月前田萬三氏より参畝拾弐歩奉納』
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本殿。
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末社。
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百万遍。
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再訪記事:『神明宮(弘前市富栄)

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