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青森県神社庁より。
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御祭神は譽田別尊。弘安5年(1282)創祀と伝えられ、村中の信仰するところとなります。
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一説によりますと、永暦2年(1161)の頃に、諏訪十郎義國が当地開基の砌勧請したとも伝えます。明治6年3月村社。
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境内にあった説明板。
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御事歴
『譽田別尊は仲哀天皇の第四皇子にましまし 御母は神功皇后にして第十五代應神天皇なり 天皇御名を譽田の皇子と称し奉り 仲哀天皇の九年筑紫に生れ給ひし時に 仲哀天皇既に崩じ 皇子未だ御幼少なりしを以て 御母神功皇后政をしょうし 皇后崩ずるに及び御年七十一にしてはじめて即位せらる 天皇は母后の胎中に在りて三韓を征服せられたるを以て武運守護神として朝野の尊信厚く 大陸との交渉に伴ひ 大陸文化を輸入し我が国の文化興隆 殖産工業の道を開かせ給ひし御功徳高き御神なり』
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御由緒
『弘安五年祀と傅えられ村中の信仰するところとなる 一説に延宝二年(1674)諏訪十郎義國當地開基の砌勧請すと 明治六年三月十三日村社に列せらる』
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諏訪十郎義國のくだりは随分と年代が異なりますね(笑)国誌や青森市史によると延暦2年、建久年間、弘安5年…う~ん…弘安5年にしておきましょう
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拝殿。
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現在の本殿は大正4年に再建されたもの。
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石段の途中にある庚申塔。
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忠魂碑。
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西北800mほど沖合いに位置する湯の島が境内からくっきりと見えます。約600~700万年前の火山活動によってつくられたそう。標高132m。周囲1里。カタクリ祭りで有名ですね。早春には全島に福寿草の香りと晩春には桜花の爛漫たるなど浅虫第一の景勝地で、中には小祠があり弁財天を祀っています。藩政時代の代々殿様も八幡山からこの景色を眺望してお茶を飲んでいたそう。往古には魚が多く見られていましたが、昔、弁財天が盗難にあってからは魚があまりいなくなったといいます。島全体がクロマツで覆われているように見えますが、クロマツは海辺の岩の所だけで、中に入るとケヤキがほとんどで、イタヤカエデが目につく程度でヤマトアオモダモもあります。また、江戸時代には朝鮮人参など高価な薬草が植えられたこともあったそうです。
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正面には弁財天(文明年間創立)の赤い鳥居が見えます。神仏混淆神社調帳によると明治初年に神仏分離に際して廃堂となっています。
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境内から線路も見えます。
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これなら撮り鉄も安心して参拝できますね!?(笑)
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遊歩道もありました。
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うわっ、稲荷神社までかぁ…あきらめよう…
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