
東京都渋谷区千駄ヶ谷。千駄ヶ谷一帯の総鎮守。

御祭神は応神天皇・神功皇后。


『江戸名所図会』によりますと「往古、此地深林の中に時として瑞雲現じける。又或時、碧空より白雲降りて雲上に散ず。村民怪しむで彼の林の下に至るに、忽然として、白鳩数多、西をさして飛び去れり。依って此の霊瑞を称し、小祠を営み名づけてはとのもりと云ふ。」とあります。





また、神亀年間(724-729)に創建された社に、貞観2年(860)慈覚大師(円仁)が鳩森の御神体を求める村民の強い願いにより、山城国石清水八幡宮に宇佐八幡宮を遷座し給うた故事に則り、神功皇后・応神天皇・春日明神の御尊像を造り添えて、正八幡宮とし尊敬し奉ったと伝えられています。




更に久寿年間(1154-1156)に渋谷金玉丸が恵心僧都作の弥陀如来の像を本地仏として社を造営し、この地の産土神としたと称したと伝えます。




弘化2年(1845)に上棟した欅造りの荘厳な社殿は昭和20年の戦災によって焼失。その後、昭和23年より数度の復興事業を重ねて昭和56年末に完成しましたが、平成2年の御大典を記念して昔の姿に復元すべく建設工事を行い、平成5年6月竣工。


51.8坪の総欅造り。また、戦前の幣殿、拝殿の天井に絵が描かれていたことに倣い、108点の草花、暮らしの中の道具をテーマにした天井画が描かれています。


千駄ヶ谷の富士塚。


東京都指定有形民俗文化財です。



冨士浅間神社。御祭神は木花咲邪姫命。

昭和60年6月に浅間神社の社殿が御影石にて建て替えられています。


この富士塚は寛政元年(1789)の築造といわれ、円墳形に土を盛り上げ、黒ボク(富士山の熔岩)は頂上近くのみ配されています。


山腹には要所要所に丸石を配置しており、土の露出している部分には熊笹が植えられています。頂上には奥宮を安置し、山裾の向って左側に木造の里宮の建物があります。




頂上に至る登山道は正面に「く」の字形に設けられ、自然石を用いて階段としています。


七合目には洞窟がつくられ、その中には身禄像が安置されています。

塚の前面には池がありますが、この池は塚築造のため土を採掘した跡を利用したもので、円墳状の盛り土、前方の池という形は江戸築造の富士塚の基本様式を示しています。毎年開山式(6月3日)の頃菖蒲が咲き、訪れる人の目を楽しませています。




この富士塚は大正12年(1923)の関東大震災後に修復されていますが、築造当時の旧態をよく留めており、東京都内に現存するものでは最も古く、江戸中期以降、江戸市中を中心に広く庶民の間で信仰されていた富士信仰の在り方を理解する上で貴重な資料です。




麓にひっそりと狛犬がいました。


甲賀稲荷社。

御祭神は宇迦之御魂神。

かつては青山権田原の御鉄砲場付近に鎮座しており、甲賀組組屋敷の武士等が崇敬。

明治18年に青山練兵場設置により当社境内に遷座・合祀。昭和20年の戦災で社殿を焼失後は、本殿にて八幡神宮・諏訪大神と共に祀られていましたが、復興を望む声が高まって昭和45年欅造りの社殿が完成し遷座。



甲賀稲荷社一の鳥居脇にある「尊塚」「地眼」と彫られた石碑。



神明社。

御祭神は天照大神。

かつては太神宮として権田原にありましたが、明治41年11月に八幡神社の末社となり境内に遷座。

将棋堂。

日本将棋連盟から奉納された大駒を納めた六角堂です。


『昭和61年1月、社団法人日本将棋連盟(当時の会長大山康晴15世名人)より、山形県の駒師香月氏の製作による、高さ1米20糎の欅製の大駒が奉納された。この縁により、同年11月将棋の技術向上を目指す人々の守護神とし、更に将棋界の繁栄を願って、日本将棋連盟と神社が協力し、この大駒を納める六角の御堂を建立した。御堂の六角は天地四方を表わし、屋根の上の飾り金物は将棋盤の足の形、つまりくちなし(梔子)の実の形をしている。くちなしは口無しに通じ、助言無用の戒めからきていると古くから言い伝えられている。室内に安置された大駒は、御影石の将棋盤の上に立ち、その奥に氏神の八幡神が祀られている。毎年年頭に、この御堂の前で祈願祭が行われる。将棋上達を祈願する人は、いつでもその夢を絵馬札に托して奉納することができる。参拝者は棋力向上の願いが叶えられ、よろず勝運に恵まれると言われている。』

戦火を逃れた御神木の大銀杏。


手水舎。


能楽殿。


富士塚の上から能楽殿。

鳩森八幡神社復興記念碑。

玉垣修築記念碑。

その他石灯籠など。





こ、この石灯籠は!!

これです(笑)

ロンバケに出てきます。南はここで瀬名に御守を買いました。


稲森いずみさんと顔の大きさを比較したい方はどうぞ真似なさってください…自己責任で(笑)

「鳩森八幡神社」HP

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