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漆館村は岩木山北麓寄りにあります。
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安政2年神社書上帳によりますと、地内に八幡宮と正一位稲荷宮があり、いずれも天和3年3月15日漆館村中により建立と伝えます。
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なお、漆館跡は当八幡宮付近にあったと考えられています。
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御祭神は誉田別尊・倉稲魂命。
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森田村々会議員副議長外崎氏金婚記念馬。
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元文元年検地帳によりますと、小野井伊賀抱えの稲荷社地の下々畑16歩とあり、また「稲荷社地 八間八間弐畝四歩 宮建有之小野井伊賀抱 右之内八幡社地壱間弐間」とあり、八幡宮と稲荷宮が同地内にあったことがわかります。両宮は相殿で社司は宮本日向。
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明治6年4月、下相野八幡宮へ合祀し、明治8年2月復社。明治9年村社。
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甲子塔と祠。
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かつてこの祠には水虎大明神がいたようです。今はいないみたい。
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ちなみに『水虎様への旅~農業土木文化の時空』においても存在していないように見受けられ、木製お札とのみ記されています。
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社殿内にも由緒がありましたので以下に記しておきます。
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『森田村 漆館 八幡宮(平成8年現在)』
・316年前(延宝8年記録なし)堂社帳又は山伏 成田七郎右衛門・岡文左衛門。
・294年前(元禄15年記録なし)大行院。堂社縁起修験道由緒 大行院大先達法印 慶長。
・292年前(宝永元年記録なし)社堂境内記。
・285年前(正徳元年記録なし)寺社領分限帳。
・265年前(享保16年記録なし)津軽一統志。
・265年前(享保16年)陸奥国津軽郡御検地水帳。
漆館村(稲荷社地)8間 8間 2畝 4歩。
・259年前(元文2年記録なし)陸奥国津軽郡御検地水帳。
・259年前(元文2年)三新田村日記。
漆館村(稲荷社地)小野井伊賀太夫抱。
・246年前(寛延3年記録なし)弘前並在々浦々建立社堂帳面 長利薩摩。
・237年前(宝暦9年記録なし)神社書上帳 小野若狭・長利薩摩。
・141年前(安政2年)神社書上帳
漆館村(八幡宮)相殿 森田村 社司 宮本日向。
正一位稲荷宮(天和3年(313年前))同村中為安全五穀成就守護同村中にて建立仕候。
其後 堂社破損之節は同村中にて再建到候。
尤 稲荷宮 正一位之御神号之儀者 安政2年より差下申候。
本社 板葺 2尺四面。
雨覆 萱葺 東西2間半 南北9尺。
御供米 1斗2升 年々村中より寄付仕来候。
棟札 宝暦8年10月 寛政9年閏7月 文政3年9月 弘化2年6月 安政2年6月(稲荷宮)
社地 東西2間 南北3間。
境内 東西8間 南北10間 御除地 社司抱。
右間数 御本帳表不当之旨にて御点羽に御座候得共 村方元帳並私所持之旧記表に前々より御除地と御座候 当時有坪 前書之通に御座候。
・126年前(明治3年記録なし)神仏混淆神社調帳 小野磐根・長利薩摩。
・120年前(明治9年記録なし)新撰陸奥国誌。
・104年前(明治25年記録なし)弘藩明治一統誌 内藤官八郎。
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※その他、神仏混淆と神仏分離の説明、加藤慶司プロフィール、用字・用語の解説などがあり、神仏分離令にて仏像を分離した神社(高城八幡宮11社連合総代会の内3社)の処置について書かれていました。※A社:最勝院に納めた、B社:薬師堂を天村雲神社に改めて仏体上納、C社は仏像をこのままにして飛竜宮に置いてもらいたい旨願い出ますが叶わず、仏体は除かれ社号は天村雲神社へ改称。
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