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かつての小杉村。
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入口は境内の中央にあり、道路とは石垣で仕切ります。社号標(明治39年旧6月18日、四ツ屋・小杉・石畑村中、日露戦捷記念)。兎一対(昭和46年7月28日、杉田貞作他95人奉献)、狛犬一対(大正5年4月18日、発起人相馬某奉献)、石灯籠(昭和11年6月、乗田□□・乗田弥作奉献)。
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貞享4年検地水帳には観音堂地2畝余が見えます。
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石畑村、四ツ村の3か村共同(藩政期は小杉村をもって代表とし庄屋も1名)の産土神で、正観音堂を祀ります。貞享年中の勧請、もしくは天正年間に南部から移したとも伝えられています。「藩中不問語」に「小杉村正観音羽黒派別当宝積院」とあり、正観音を一緒に祀り、正観音の厨子背面に小杉村の成立が記されます。それによれば、南部の将相馬良貞は中野不動館の上田城にいましたが討死、その子良盛が天正年間(1573-1592)この地を得て開拓し、その子孫は寺田氏を名乗ったといいます。
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御祭神月読命(月夜見神)、例祭6月18日(7月18日)。貞保年中勧請。明治初年の神仏分離により月読神社に改称。棟札1枚を所有し、表面には「奉斎月読尊 陸奥国南津軽郡柏木町村大字小杉四ツ屋石畑鎮守月読神社。星霜己久雨蝕露敗清宮頽廃禮典既有闕故今茲改築葺脩此輝其旧儀為戴 神明垂感応四海菠安部内康楽風雨順序梁穀登稔矣 敬白」・裏面「維持明治廿五年旧六月十七日 月読神社祠掌滝川繁太郎 同惣代人木村与市 古川喜太郎 杉田岩吉 山谷甚三郎 造営掛葛西岩太郎 門外村工匠土岐勝太郎」とあります。
神社庁より(由緒沿革)…『当社には昔から正観音をお祀りしている。この正観音の由来について、自ら勧請した旧黒石藩の従臣寺田四郎左エ門盛民の残した次の記録がある。「当月山宮の社堂は天正年中(1573~1592)当所の給主相馬良盛が拓り開くところのいわゆる父喜多左エ門良貞は当国の内の黒石領中野不動館の上田城に居住し嫡子良盛は当所の野原地知行二百石の所領を扶持即ち開拓し村の鎮守宮として南部喜□山から月山宮をここに移し奉ったと雖も良貞七代の後孫寺田庄藤原氏四郎左エ門盛民が奉持し来たりし誠に奇瑞なる正観音を恩義のため当社に勧請奉るもの也 享保十二年二月十八日黒石従臣四郎左エ門寺田氏 盛民」。これに依れば、二代相馬良盛がこの地を開拓し、村の鎮守として月山宮を創立、その後、七代目の孫寺田盛民が正観音を併せ祀ったものと思われる。』
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境内拡張記念碑(大正15年7月28日)。
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足だけの御神馬(昭和12年12月28日三カ村国防婦人会(寄附人名工藤多也他85人)支那事変記念奉納)。
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っていうか…境内が蜂だらけ(( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
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蜂にびびって写真もぶれます(笑)
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本殿前にも月読命の神使ウサギ(大正14年6月28日、発起人古川勘助奉納)。
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庚申塔など。
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説明がありました。
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『庚申塚=青面金剛を祀ってある塚。庚申の夜、佛家では帝釈天および青面金剛を神道では猿田彦を祀って寝ないで徹夜する習俗。』※慶応4年3月12日村中
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『二十三夜塚=陰暦23日の夜、この夜月待をすれば願い事がかなったと云う信仰があった。』※石畑・小杉・四ツ屋村中、建立年不明
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『聖観世音菩薩=衆生の諸難を救い、願いをかなえ、教化救済をする菩薩』※文政13年正月18日小和森村今井貞平
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