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上大町稲荷神社。御祭神は倉稲魂命。かつてはケヤキの巨木が並ぶ神秘的な境内でしたが、社持運営と老木の危険から昭和53年11月7日には大半のケヤキが伐採されています。
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慶長2年(1597)に代官木村杢氏が伏見稲荷(京都)の分霊を勧請したのが始まりと伝えます。糠部五郡小史には「郷社稲荷神社は五戸村上宿にあり、祭神は宇迦之霊命を祀る。勧請年月詳かならず」とあります。
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神仏混合し祭祀は別当である福蔵院が当たり、天明8年(1788)には正一位を授与されています。
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明治の神仏分離により神社として独立し、郷社に列し、明治40年に幣帛供進神社として指定されています。石灯籠一対の紀年銘は弘化2年(米田伊佐エ門、櫛引蔵之丞)。手洗場の石うすの紀年銘は寛政9年7月(中市勇左エ門、工藤専右エ門)。
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狛犬の眼が怖い(笑)安政2年7月。願主仙台屋喜助。
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真っ赤な社殿。南部領寺社鑑によりますと、神官新井田登(五小初代校長)で、堂の大きさは二間に二間半の茅葺屋根で、明治中期には五戸俳句会の人々が俳句板を納額。祭日は毎年9月2、3、4日で、かつては近郷近在からの参拝者で賑わい、夜明けまで盆踊りが続いていたそうです。五戸祭の関係から日程の変更も行われましたが、国土安穏、豊作豊穣を主目的としていました。慶応3年伊勢屋安兵衛奉納の館稲荷大明神の幟が残されているようです。祭礼は二夜三日厳重に行われ、神輿を市中に引渡し、川原町旅所(蒼前神社)に一宿、翌日におかえりになります。明治初期に神明宮の宮司櫛引氏が上大町に移し、稲荷神社と称するようになりました。新撰陸奥国誌によりますと、享保18年、山州伏見の稲荷を勧請して、天明8年7月神位を贈られ、文化8年8月26日炎上。
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木鼻の眼は可愛い(笑)
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以下、青森県神社庁HPにある由緒。
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「慶長2年(1597)9月4日当町常代官木村杢氏が創めて社殿を建立し祭祀を為した事に始まる。天明8年(1788)7月豊日京都に別当福蔵院と氏子共に上り從四位上摂津守荷田祢信邦より詔勅を拝受す。
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明治40年1月15日、幣帛供進神社として指定されたことにより、昭和24年9月30日、国有境内地667坪を宗教法人稲荷神社社有地として譲与許可された。昭和19年10月12日神饌幣帛料供進指定。昭和26年3月31日国有境内地譲与許可。」
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御神木。
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境内にある青面金剛像と庚申塔。享保18年6月吉日、願主三浦・亀尾氏。
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