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昭和32年、私有とされていた毘沙門天を再び氏神として祀って鹿島神社として建立。
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御神体の毘沙門天は徳兵ヱという人が南部から持って来たもので、田村麿呂将軍手造りの古物と伝えられています。
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徳兵ヱはこれを氏神として屋敷内に祀っていましたが、没後はその子孫が絶えたため、人々が相談のうえ飛竜宮末社として滝井惣十郎地内に安置したと伝えます。
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その後、尊体は何者かに盗み取られたので、文化2年(1805)に滝井の山崎勘右エ門が江戸登りした際に新調した毘沙門天を寄進。
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後年村の氏神としましたが、明治に入って氏子協議のうえ信者、小野松太郎に遺わし、同家の氏神となりました。
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昭和32年初秋、小野七郎氏より土地及びお堂の奉納を受け、滝井・館野越の部落民の協議の結果、毘沙門堂の場所に併せて武甕槌神を主祭神とし、昭和36年に本庁の承認を得て現在に至ります。
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拝殿両脇の大きなワラジが特徴的です。
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裏手は池のような人工的窪みがありました。
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その手前の祠には石版女神型の水虎様が祀られています。
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