

かつての石郷村。部落西端を通る道路沿い。境内は南側を川が流れ、西側と北側が住宅街で東側が道路に囲まれ、長方形の狭い火の見櫓が立っています。境内参道は南端で入口に朱塗木造両部鳥居があり、その右側に社号標(明治39年4月17日建立)があり、左側には手水鉢(大正4年11月10日御即位記念、石郷村中奉納)があります。鳥居をくぐると御神灯一対(明治38年旧4月17日、石郷村中奉献)と木造鳥居二基、狛犬一対(明治38年5月21日、皇軍紀念、発起人田中禮裕他3人、石郷村中奉献、石工石川工藤晴吉)があります。



旧村社の闇おかみ神社は水神(竜神)を祀ります。

草創年月不詳ですが江戸中期以降の勧請と考えられており、明治初年には岩館村の神明宮の相殿となっています。その後、村元に復社。


本殿横の狛犬。

本殿とその横の末社。


天保3年7月の庚申塔。

神社前に設置されている案内は、神社の由緒ではなく石郷遺跡についてでした。

『平賀町は県内有数の遺跡の多い町で、現在180余の遺跡が確認されています。平賀町の平野部に遺跡が多くなる時期は、縄文時代後期(約4000-3000年前)です。この時期には、石郷地区の両側を平川の一大支流が北流していたと想定され、その氾濫と堆積による自然堤防状の微高地一帯に集落が形成され発達したものと考えられ、昭和49年に実施された発掘調査により、石郷遺跡が最も栄えた時期は、縄文時代後期末から晩期前半(約3000-2500年前)である事が判明し、夥しい土器や石器などが出土し大集落が営まれていたことが判明した。遺跡の大半はいまだ地中に埋もれており、今後の調査研究が待たれます。平成5年3月 石郷コミュニティ推進協議会 平成4年度宝くじ助成』


周囲を散歩している時に「縄文の故郷 石郷」という標柱をいくつか見かけました。


馬頭観世音もありました。


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