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花の天神様・東宰府天満宮 亀戸天神社。菅原道真公をお祀りする下町の天神さまとして有名な亀戸天神。
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御祭神は天満大神、天菩日命。
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大鳥居をくぐると心字池があり、3つの橋がかけられております。
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これは池と橋を人の一生に見立てた三世一念の理といい、最初の太鼓橋(男橋)は生きていた過去を、次の平橋は今が見える現在を、最後の太鼓橋(女橋)は希望の未来をあらわし、3つの橋を渡るごとに心が清められ、神前と進みます。
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橋からの眺めがいいですね。
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心字池と太鼓橋はその形により、神様に近付く道真公の波乱の生涯と重ねあわせて造られたように感じられます。
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ご本社にあたる九州太宰府天満宮に対し、東宰府天満宮あるいは亀戸宰府天満宮と称されていました。
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明治維新の際に別当東安楽寺(天原山聖廟院と号し、開祖大鳥居信祐)や仏堂を廃し、明治6年に東京府社となり亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社となりました。
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正保三年(1646)九州太宰府天満宮の神官だった菅原大鳥居信祐公(道真公末裔・亀戸天神社初代別当)は神のお告げによって公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるために社殿建立の志をもって、諸国を巡歴。江戸の本所亀戸村に辿り着かれ、庄屋に願い亀戸村に元々あった天神の小さな祠に御神像をお祀りしました。
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当時の徳川幕府は本所の町を明暦大火の被害による復興開発事業の土地と定め、天神様を篤く信仰していた徳川家綱公はその鎮守の神としてお祀りするよう現在の社地を寄進。
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寛文2年(1662)10月25日に太宰府の社にならって、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを営み、以来約350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されてきました。
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昭和20年3月大空襲によって神庫を除き一切を烏有と帰し、戦後は前田家江戸屋敷邸内社を譲り受け本殿とし、昭和36年鎮座300年記念として拝幣殿等再建。昭和54年に御神忌1715年大祭記念事業として本殿を再興。昭和56年社務所建設。
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亀戸天神菊まつりが行われていました。
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亀戸は元々亀島(亀ヶ島、亀津島)と呼ばれる島で、その名の通り亀の形に似た島で、後に島周辺に土砂が堆積して周りの島々と陸続きになり亀村と呼ばれるようになります。
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現在の亀戸3丁目付近にあった臥龍梅庭の井戸「亀ヶ井」と混同されて「亀井戸」と呼ばれるようになり、更に「井」が取れて亀戸となりました。
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その井戸は現在亀戸香取神社境内に再建(平成15年4月)されていますが、ここ亀戸天神社にもそれより以前から亀井戸跡があります。由緒等は不明で、境内の隅(御嶽神社裏手)にひっそりとあり、見逃しやすいスポットです。
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亀井戸跡の隣にはおいぬさま。元々は境内にあった狛犬で、戦災後に見つかったという話もありますが詳細な由緒は不明。
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祈願しながらおいぬさまに備え付けられている塩を擦り込むと祈願が成就するという伝えます。
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病気治癒、商売繁盛に御利益があります。
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っていうか塩擦り込まれ過ぎ(笑)ここだけに季節外れの雪が積もったのかと思いましたよ。
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紅梅殿。
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飛梅の実生をお祀りした社で、梅が香る2月25日にお祭りを執り行います。
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『御本社と時を同じくして寛文2年(1662)に太宰府天満宮の御神木「飛梅」の実生を勧請し、社殿前に奉斎したのを起源とし、昭和63年(1988)に現在地に再建される。』
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御神牛です。
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親しく触れることにより病を治し、知恵を授かるといわれています。
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菅公の御生誕が承和12年(845)6月25日の乙丑。菅公は農耕に勤しむ牛の姿に深い慈愛の心を示され、牛の鳴き声で刺客から逃れられ、どこからともなく来た白牛に危難から救われ、更には菅公の「自分の身を京都に帰すことは願わぬ」との遺言により、御遺体を牛車に納め、四堂という所にさしかかると牛が歩みを止めて動こうとしなく、後にこの地が太宰府天満宮建立の起源といわれ、この年も丑年に当たるという御神縁があり、以来牛は天神様の神使として篤く信仰されています。
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御嶽神社です。御祭神は比叡山延暦寺第13代座主法性坊尊意僧正。火災除、雷除、商売繁盛、開運の神。寛文9年(1669)11月21日に九州太宰府御嶽山より勧請し建立。古くは亀戸妙義社とも号されました。
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元々は亀戸天神別当の玄関辺りにありましたが、延宝5年(1677)に天神社の境内地内に移転。寛延2年(1749)に造成された社殿は戦災で焼失。昭和36年本社復興後は旧本社の拝殿・本殿を御嶽神社の本拝殿とします。現在の社殿は菅原道眞公御神忌1075年大祭の記念事業の一つとして昭和51年に再建されたもの。
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法性坊は道眞公の数学、御折の師で、道眞公薨去の後は太宰府天満宮の社殿造営に関わられ、社前に一念三千の心字池を構え、三世一念の太鼓橋を架けられるなど道眞公との関係は深く、当宮境内に奉祀。
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法性坊は天慶3年(940)2月の卯日の卯の刻に亡くなられたことから、春の陽気を迎える卯の神と敬仰され、以来月毎の卯日はもとより、特に正月の初卯日は陽気を迎えるはじめとして卯槌、卯の神札を求められ、福徳・才智・愛敬を願い、除病・延命を祈るものとされました。
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花園社。御祭神は菅原道真公の北の方で、道真公の父君是善公の門人であり、道真公ご幼少の時の師であった儒者の島田忠臣の御女にあらせられ、御名を宜来子と申し、相殿に御子達十四方をお祀りしています。。
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寛文年中(1661-1672)亀戸天神社の創建と時を同じくして、筑紫(福岡県)の地より勧請し、以来花園神社・花園大明神とも号されて、安産・子宝・育児の神、また立身出世の守護神として信仰されております。
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先の戦災に罹り社殿は惜しくも烏有に帰しましたが、昭和47年(1972)8月23日に再興。
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弁天社。
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寛文5年(1665)、太宰府天満宮心字池畔に鎮まり座す志賀社を勧請したのを始めとしますが、時代の推移と共に、七福神の一つであり無量の福徳を与える弁財天(水の神・音楽の神)の信仰と習合し、一般には弁天様と親しまれて、福徳福智を増し天災地変を消除する開運出世・芸能成就の神として信仰されてきました。
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その間幾度か災害に罹りその都度復興されましたが、近年殊に社殿の破損も著しく、菅原道真公御神忌1100年大祭に伴う記念事業に併せ、地元宮元会役員一同を始めとする崇敬者各位の御奉賛により、装いも新たに修復されたものであります。平成13年12月1日遷座祭執行。
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「亀戸天神社」HP
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