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かつての大光寺村です。
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貞享4年検地水帳に不動堂地20歩がみえます。
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不動堂は牛頭天王を祀ります。
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新館跡にあり、大光寺城の館神に勧請され、津軽為信が孫の大熊(熊千代)の火傷治癒を祈願して霊験を得たと伝えます。
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不動堂の由来について説明がありましたが消えかかっていて読めませんねぇ。間違っていたらすいません。
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『堂の建立年月日は定かではないが貞享年間(西暦1684年頃)の検地帳には東西五間、南北四間・二十坪の敷地に堂有りと記載されている。又、津軽藩統治以前の大光寺城時代には、傍に「牛頭天王」を祭った祠があり、城内の御館神として代々の城主が崇敬した。津軽藩統治下に入ってまもなく津軽信建(為信の長男)の子大熊が幼少時に大火傷したので、父信建は37日間この不動堂に祈願して癒えた。それから津軽氏益々崇敬したという。口碑によれば霊験いともあらたかで不浄を忌み、子どもが近付けば怪我をし、乗馬で神前を通れば落馬するといわれ、明治初期頃まで堅く守られていた(大光寺町史より)。尚地元では、この神社を荒神様と呼称していますが、この事が由縁するものと思われる。平成11年7月25日大光寺保食神社氏子総代会』
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庚申塔や馬頭観世音。
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