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鶴岡公園の周辺を軽く散策してみました。
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鶴岡市役所。
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大正天皇即位を記念して建てられたオランダバロック風の窓とルネッサンス風のドームをあわせ持つ大寶館。鶴岡公園内にあります。
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かつては市立図書館(昭和26-60年)として利用されており、現在は高山樗牛、松森胤保、横光利一など、鶴岡市が生んだ先人たちの偉業を讃える郷土人物資料館となっています。
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大正4年(1915)10月完成。
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旧荘内藩七つ蔵跡。
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『山形県立鶴岡南高等学校の敷地は、旧藩時代の七つ蔵と家中屋敷の地域である。七つ蔵は寛永元年(1624)に創設され、明治の初期(6-7年頃か)に取りこわされているが、本校がこの地に移ったのは明治30年(1897)7月である。七つ蔵の敷地は、現校地の南西側であり、正門・番所・勘定所は校門付近にあった。その規模は東西85間(154m)、南北約60間(103m-最長部分)で、外側に土塁(西側-巾5間、高さ5尺。北及び東側-巾3間、高さ5尺)を巡らし、更にその回りには堀(西堀-巾6間、深さ5尺、北、東堀-巾3間、深さ4尺)があった。七つの蔵は、それぞれ南北に奥行を持ち、東より中川蔵・山中蔵・京田蔵・御扶持方蔵(2棟)・嶋蔵・櫛引蔵の順で並び、藩の扶持米を収めていた。藩士は米札と引き替えに飯米をこの蔵より受け取ったのである。』
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鶴岡を代表する風景の1つ三雪橋。昔は三日町橋と呼ばれていました。
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この橋から眺める鳥海山・月山・金峰山の山の雪がとても美しかったことから、明治9年に当時の県知事である三島通庸氏が名付けたといわれています。
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この橋の歴史は古く、慶長13年(1608)に最上義光が作ったもので、当時この付近にはこの橋しかなったそう。元和4年(1618)、最上義俊によってつけられた擬宝珠が鶴岡市立図書館2階の郷土資料室に展示されています。 
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むかしの内川風景。
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三雪橋近くにあった標柱。鶴ヶ丘城三日町口木戸跡。
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全部で十一木戸…つまり11ヶ所に標柱が設置されています。漢字にすると「十一口」で「吉」の字になるために縁起がよいとされていたようです。
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