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輪郭式平城。築城主大泉氏(武藤氏)。
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古くは大宝寺城と呼ばれており、鎌倉時代初期から戦国期まで庄内に君臨した武藤氏の居城でした。天文年間に兵火のため武藤氏は大山の尾浦城に居を移し当城はその枝城となります。
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天正15年(1587)武藤氏が滅び庄内は越後の上杉氏、そして慶長6年山形の最上義光の支配となります。慶長8年に大宝寺城は義光の隠居城として修復され鶴ヶ岡城と改称。
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元和8年(1622)最上氏改易の後、信州松代より酒井忠勝が入部し整備拡充。酒井氏は徳川幕府譜代の大名として明治初年までの約250年間、庄内を治めますが戊辰戦争にて抗戦の末官軍に降伏開城。
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廃城年は明治4年(1871)で明治9年には城内の建築物はすべて破却。
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現在の本丸・二の丸跡周辺は鶴岡公園となっており、桜の名所として日本さくら名所100選に選ばれています。
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鶴岡公園には荘内神社(本丸跡)、稲荷神社(鬼門)、護国神社大宝館などがあり、三の丸跡には致道博物館があります。かつての石垣や赤瓦は様々な場所で再利用されております。
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跡地にはそれぞれ標柱が立っています。例えば本丸内北門跡。
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本丸渡櫓跡。
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本丸中門跡。
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二の丸外北門跡。
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二の丸大手門跡。
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鶴岡町役場跡…高山樗牛像・文学碑もありました。
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現在は様々な石碑も設置されており、散策を楽しめるようになっています。一部紹介。
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鶴岡市出身の直木賞作家藤沢周平。市内18か所に案内標柱があるそうで、こちらは鶴ヶ岡城が舞台となった「花のあと」の一節とともに紹介されているもの。
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平成16年2月に87歳で亡くなられた旧庄内藩主酒井家第17代当主酒井忠明氏の歌碑。平成15年の宮中歌会始で召人として詠進された「今もなほ殿と呼ばるることありてこの城下町にわれ老いにけり」の歌が碑文として刻まれています。
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「雪の降る町を」発想の地モニュメント。作曲家の故中田喜直氏が終戦直後に訪れて鶴岡で過ごした雪の一夜をイメージして作曲したそう。
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雪の結晶をイメージした強化ガラスで作られており、近づくとメロディーが流れてきます。
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雪の降る街を~雪の降る街を~♪…あれ?続きが出てこない(笑)
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