
木造越水のあざみ岡は藩政以前より在ったと云われる古い部落。屏風山地帯の南にあり、天皇山(標高57.1m)という丘があります。※高山稲荷神社入口に向かう途中の山道には分岐があります。右へ進んでください。ちなみに最初の看板も小さいので見逃さないように。

この天皇山には壇ノ浦で入水した安徳天皇が逃れてきた場所という伝説を残します。※『青森の伝説(森山泰太郎・北彰介)』のP.172「天皇山」の項に詳しく書かれているので参照してみてください。

壇ノ浦の戦いの頃、当時津軽を支配していた安東水軍(安東太郎堯李)は大船団で平家救出に向かいます。しかし能登沖で大暴風に遭い停泊。この間に壇ノ浦の戦いは終わり、安東船は平家の悲運を嘆きながら落人を探し回り、軍船に分乗させて津軽へ戻りました。

平家の残党には武者に混じって女官や子どももたくさんおり、それぞれ津軽の方々へ散って行ったといいます。この中に7、8歳くらいの青白い顔の貴公子がいました。この子どもこそ壇ノ浦で二位尼に抱かれて入水し果てたと噂されていた安徳天皇でした。


天皇は入水したものの源氏の手勢に助けられ、天皇と気付かなかった源氏の兵士により、とある岬に置き去りにされ、その後、女官らに守られながら別府に潜んでいたといたそう(※別の説では入水したのは安徳天皇ではなく、安藤水軍の将塩飽次郎左衛門の子辰丸で、安徳天皇は安東水軍にかくまわれて津軽に逃れたとします)。



幼い天皇は武者及び女官ら数名に守られるように砂浜から去り、小高い丘の麓へ着きました。四方を見渡せて、敵がどこから来てもすぐにわかり、南には農耕ができそうな土地が広がっているこの丘を行在所とします。しかし津軽の厳しい冬に耐え切れず、安東船で中国に渡り、山西省に住み、そこで亡くなったと伝えます。

これらの伝説によって天皇山と呼ばれていますが、もちろん真相は誰にもわからずに現在に至ります。少なくとも明治時代の地図には天皇山と記されています。

戦前戦後の頃、地元の人々は天皇を口にするのは畏れ多いと、山頂の高山稲荷神社にちなみ高山と呼んでいたこともあるそう。


また、木造町が観光スポットとしてパンフレットにアピールしようとした過去もありますが、名前が名前だけに県からの指導で叶えられなかったとか。屏風山地帯は昭和50年に国定公園に指定されて天皇山一帯は伐採や開発行為が禁止される第1種特別地区になります。


こんなに珍しい名前の山であるにもかかわらず、あまり知られていないのはこのような歴史的経緯によるのでしょう。



「株式会社南砕石大澤榮一」様奉納が多いですね。信仰の篤さが伺えます。

狐だらけかと思っていたら狛犬発見!(笑)


ちなみに現在はつがる市牛潟町の高山稲荷神社が有名ですが、天皇山山頂にあるこの高山稲荷神社は高山稲荷の前身とも言われているとか。

山頂へは歩いて5分程で到着しますよ♪

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