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かつての大坊村。
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貞享4年検地水帳に権現堂とあり、これは薬師権現堂のことであり、中世には熊野権現堂だったと伝えます。明治4年に神仏分離により熊野神社に改称。
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御祭神は伊弉諾命、伊弉册命。
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青森県神社庁によりますと、大同2年(807)、田村麿将軍夷賊退治の際に、首魁大嶽丸を討ち、その首を埋葬。
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その際、賊が用いていた頬面2枚があり、それを首塚の堂社に安置して薬師権現と称していましたが明治4年に熊野宮と改称。
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当熊野神社には、安寿姫と津志王の姉弟の話が伝わります。
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丹後の国を逃れてきた姉弟は、どちらか早く岩木山に登ったほうがその神になることを約束。大坊にある熊野神社まで来ると獅子踊りがおもしろく催されていました。二人はこれに見とれている内に、津志王は旅の疲れでそこに仮り寝してしまいます。姉の安寿はその間に早くも登山して岩木山の神となったとか。これから大坊の村人は岩木山に参詣しないといわれています。
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獅子頭は平川市指定有形民俗文化財。
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これに似た伝説は他にも弘前の小栗山神社に伝わります。
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本殿。現在本殿内に安置されている薬師様(有形文化財)と権現様は、神仏分離の際に古川清八郎氏の屋敷にあった御堂の中に安置し、再度お宮の方に移したもの。
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本殿裏の景色。
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末社等。
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大黒天が見えました。
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もう一つは隠居様・麻疹の神様とありました。
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薬師堂。
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由緒にもある薬師権現の名残りですね。
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その他石碑。
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