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春日内観音堂案内版…
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「津軽三十三霊場十七番札所である。ここはもと竜興寺と春品寺跡と伝えられる。奥院は鞘堂で、堂宇は飛竜宮といわれ、元和九年(1614)に建て直されたという。明治初年、神佛分離にあたり観音堂は廃堂となったが、まもなく聖観音を神体とする春日内神社として復元され、順礼を迎え続けた。大正時代になって飛竜宮を廃し春日内観音と呼び直して現在に至っている。十七番札所御詠歌 野をも過ぎ山路に向う雨の空 祈れば晴るる峯の曇りも」
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寛文9年(1669年)に名刹跡地に村人が建立したと伝られますが、古い集落にて藩政以前には祀られていたと推測されます。
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拝殿横より本堂裏手に上る道があり、そこに十三観音の石像が並びます。
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ちなみに観音堂から車で道路をちょっと上って行った場所に唐川城址があります。
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「十三往来によりますと、『竜興寺の為躰を見ては、うしろ青山峰峨々、清嵐梢を鳴らし、前は龍水邏落、座禅の眠りを驚かす。阿吽寺の鐘声諸行無常の告をなし、後夜晨朝の勤声は寂滅為楽の雲をうがち、これまた殊勝の景物なり。』とあります。
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本殿。
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本堂裏手に回ると鳥居があり、そこに小さな滝が流れていました。
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菅江真澄の記…
「太田山などを右にみて、安倍の一族の古い館のあとがあると聞いたので、それを見に行こうと思い、また、そこをむかし春品寺といって、いま観音の堂があるというので、のぼってみようと、人家のうしろからゆくと、庵があった。延文(1356~1361)などの古い石の卒塔婆がたっている。鳥居をはいると、常陸沼という池があった。
春陽沢(ハルヒナイ)について、木々の暗く茂るなかにはいり、苔からほそくつたう水を漱(すすぎ)の滝といって、これで手をあらい、口をすすぎなさいと、しめした(ハルヒナイは、もと蝦夷人のことばで、のちの人が春品寺という寺を建て、ハルシナジという。この廃寺のあとがなおある)。
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やがて円通大士(観世音)の御前にでた。この山おくにはいって、古い城(このハルヒナイの山奥に安倍館というところがある。安日の末孫安東がかまえたむかしのあとであろう)のあった跡を見ようといったが、夏は草木の枝がさしおおって、こんなにもふかい谷間をすっかりふさいでいるので、ただこの谷かげの草のなかにあるという、おおよその見当で見た。てまえをよじのぼり、高い草をなぎはらい、木々の間から望むと、岩木山がなかばほど、南の雲のきれめから姿をあらわし、東は太倉が岳(大倉岳)、袴腰山、西に遠く深浦のこちらの鶏栖崎、近くは母夜、あるいは薬師ながね、十三の部落は貝などをふせたようで、湖は藍をうちながしたかとみられ、まことにあいうちという里の名もここからよんだものかと、案内人に戯れて言うと笑った。」
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