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御祭神は應神天皇、伊弉諾尊、伊弉冉尊、福禄寿。
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元今戸八幡宮と称していました。後冷泉天皇の時代康平6年(1063)源頼義、義家父子は勅命に依り奥州の夷賊安太夫安倍貞任、宗任を討伐の折今戸の地に到り、京都の石清水八幡を鎌倉鶴ヶ岡と浅草今津村(現今戸)に勧請。
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應神天皇の母君神功皇后は新羅を始め三韓親征の際、時恰も天皇を宿されその帰路天皇を九州筑紫で誕生されました。従って應神天皇を別名胎中天皇・聖母天皇とも称し、安産子育ての神と崇敬されています。
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伊弉諾尊・伊弉冉尊御夫婦の神は加賀の白山比咩神社の御祭神にして、嘉吉元年(1441)千葉介胤直が自分の城内に勧請。諾冉二神は子孫の繁栄を与えられると共に縁結びの神として崇敬されています。
昭和12年7月に白山神社を合祀され、今戸八幡から今戸神社へと改称。
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今戸橋開橋記念碑。
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珍しい真円形の絵馬は「円」と「縁」を掛け合わせたもの。
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それにしても大人気ですね。
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さすがに数える気がしません(←数える必要なし)。
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狛犬は今戸焼職人によって宝暦2年(1752年)に今戸町の鎮守であった今戸八幡神社に寄進され、文政5年(1822年)に再興。
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台座に今戸焼職人の名が刻まれています。
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浅草名所七福神、福禄寿。
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沖田総司終焉之地の碑。
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「沖田総司は当地に居住していた御典医松本良順の治療にも拘わらず、その甲斐なく当地にて歿したと伝えられている。碑字は橘右近書。」橘右近氏は日本テレビ笑点の字を書いた方。
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今戸焼についての案内板。
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「今戸焼とは現在の台東区今戸の地で焼かれてきた日用品の土器類・土人形類のことで、かつては江戸を代表する焼き物として繁栄していた。地元の今戸神社にある狛犬台座には宝暦2年(1752)に奉納した42名の陶工らの名が刻まれており、数多く軒を並べていたことが伺える。今戸焼きの起源は定かではないが、伝承では天正年間(1573-91)に千葉氏の家臣が今戸辺りで焼き物を始めたとか、徳川家康入府後三河の陶工が今戸に移って来たともいわれる。今戸焼の名としては18世紀末頃から明らかに見られ、18世紀前半頃に本格的な土器生産が始まったと思われる。墨田川沿岸はかつて瓦を含めた土製品の生産が盛んであったようで、瓦町の名や瓦焼が早くから知られていた。江戸時代の文献である『江戸名所図絵』には瓦作りの挿絵がみられ、『隅田川長流図絵』(大英博物館所蔵)には今戸焼の窯が描かれている。近年の江戸遺跡の調査によって施釉土器、土人形や瓦等が多く出土し、そのなかには今戸焼職人の名が刻印されている土器・土人形、今戸の地名を印した瓦も見られ、隅田川沿岸の窯業との関連が注目されている。関東大震災や東京大空襲により職人が次々に区外へ移り、現在今戸には1軒のみ残り、伝統を伝える。「口入れ狐」や「招き猫」などの人形が今でも製作されている。」
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「お江戸は浅草 今戸で生まれ 愛され続ける 招き猫」
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石のなで猫。なでた後に携帯の待受画面にして毎日祈るとお願い事を叶えて下さるそうです。左がオスのナギちゃんで、右がメスのナミちゃん。
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