五重塔は天慶5年(942)平公雅が本堂と共に建立したのを初めとし、その後数度倒壊・炎上に遭いましたがその都度再建。
徳川家光により本堂・仁王門などと共に再建された国宝五重塔は太平洋戦争の戦火にて焼失。戦後の昭和48年に塔院とともに再建。
古地図を見ると現在とは逆に位置し、元の場所には旧五重塔跡の碑が建てられています。
五重塔塔院の大狛犬。
でかいです(笑)
浅草寺の本坊である伝法院。本尊は阿弥陀如来。伝法院は安永6年(1777)建築の客殿・玄関や明治4年(1871)築の大書院、浅草寺貫首大僧正のお居間などの総称。回遊式庭園は小堀遠州の作。
こちらも詳しい由緒等はホームページからどうぞ(笑)
ちなみに鎮護堂以外は通常非公開なので特別公開日などを調べて訪問しましょうね。
鎮護堂(通称お狸さま)赤門(寛永寺内に徳川慶喜が一時謹慎蟄居された際の建物の門)。
鎮護堂は明治16年(1883)浅草寺中興第17世貫首唯我韶舜大僧正が夢告により境内に棲む狸を鎮護大使者とし、伝法院の守護に祀ったもので、現在のお堂は大正2年(1913)建立。荼吉尼天女騎座像。
水子地蔵尊。
神木・公孫樹。
鎮護堂から伝法院の池を見ることができます。
銭塚地蔵堂。
カンカン地蔵尊(撮影禁止)。
弁天堂。
松尾芭蕉句碑。
弁天山と呼ばれる小高い丘の上に建つ弁天堂。
弁天さまは白髪のため老女弁財天と呼ばれおり、関東三弁天の一つに数えられています。
聖観音真言梵字の碑、普閑の歌碑、鳩塚、都々逸塚の碑、添田唖蝉の碑・添田知道筆塚、扇塚などがあります。
時の鐘。
鳴らしてみたかったけど立入禁止でした。
弁天堂の裏手にいた一体の狛犬。
浅草寺内ではマニアックな狛犬の一つでしょう。
久米平内堂。剣の道に優れた平内は多くの人を殺したので、その罪を償うために晩年は浅草寺内の金剛院に住み、自らが禅に打ち込む仁王座禅の姿を石に刻み、自分が死んだら人通りの多い仁王門の近くに像を埋めて踏み付けさせたそう。
それが転じて「文付け」となり、恋の仲立ち役の神様となって崇拝されています。
母子地蔵尊は第二次世界大戦末期、満州で命を落とした母子の冥福を祈るために建立された地蔵で、尊像発案者は漫画家のちばてつや氏。
平和地蔵尊は東京大空襲における犠牲者を供養したもの。
平和地蔵尊の裏手にある二尊仏は貞亨4年(1687)建立の二菩薩の金銅坐像。濡れ仏の名で信仰されている江戸初期代表の仏像。
向かって右が観音菩薩、左が勢至菩薩。
二尊仏裏手にある地蔵菩薩像・阿弥陀如来像。
阿弥陀如来像。
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